廃墟、つまり荒廃した人為的構造物であれば、お化けがいないと許されない、いや、いるべきだ、居るに決まった。

散歩中、立体駐車場の廃墟を見つけました。
いい感じにゴミが積もっています。

なぜ廃墟を見ると、怖いもの見たさという感情が湧いてでるのか、理詰めで考えてしまうとなかなかいい理由が見当たりません。
廃墟=人の手が入らなくなった空間、と捉えるとどうだろうか。人の手が入らなくなったということは、言い換えるとある時までは人の手が入っていて、ある時から入らなくなったということと言えるでしょうね。
実際人の手が入っていれば、どんなにボロだろうが錆びていようが、廃墟のようであろうと、圧倒的に廃墟ではないと言える。
廃墟と廃墟でないものの違いは、人工物に対する最近の手入れの有無によって決まるということ?
これを廃墟と定義した時、人の手が入らなくなるとなぜお化けがでるのだろう?手入れをして貰えなくなった「もの」が、人間を恨んで具現化したものがお化け?つくも神みたいなもんか?お化けってそんなに領域狭かったっけ?
と、言うわけで今日は

メトロ車両をゲット。
秋空に映える廃墟と電車を写真に収めて、ひたすら屁理屈の秋を堪能してみました。
秋ですからね。多少の戯れは許されるでしょう。