テツになる勇気。 -11ページ目

テツになる勇気。

テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

こんにちは。電車の音をBGMに執筆する、寝ても覚めても鉄道三昧ブロガー@ヤッパくんです。

今日のテーマは、誰もが一度はモヤッとしたことがあるであろう「品川駅の乗り換え問題」。
でもただの構造の話じゃありません。これは鉄道界における、あの「きのこたけのこ戦争」にも匹敵する国民的未解決争点なのです。


■まずは基本から:「方向別複々線」って何だっけ?

鉄オタ界では常識、でも一般にはあまり知られていないこのキーワード。

簡単に言えば、線路が4本ある路線で…

  • 方向別複々線:同じ方向に向かう電車同士が隣り合って走る(例:山手線内回り+京浜東北線上り)

  • 路線別複々線:路線ごとで線路が分かれてる(常磐快速線vs緩行線や、中央・総武快速線vs総武緩行線がいい例ね)

方向別のほうが、乗り換えが便利。隣のホームにピョンと渡れるから。
たとえるなら、きのこの山派とたけのこの里派が同じ教室で平和に暮らしてる状態です。

路線別複々線は、はっきり言って利用者のメリットなし。運行する側は、管理がしやすいとかあるんかもしんないけど。

 


■田端〜田町までは完璧な共存の地

そう、山手線と京浜東北線は、田端〜田町までは見事な方向別複々線

きのこ派とたけのこ派が、それぞれ自分の道を歩きながらも、ときに乗り換え(=対話)もできる理想の関係。
「今日はたけのこ気分かな〜」と気軽にホームを渡れる、そんな共存社会。


■だがしかし、品川で急に戦争勃発

田町から先、あの「品川駅」に入ると、突如この理想が瓦解します。

ホーム構成が方向別ではなくなり、山手線と京浜東北線が別のホームに。利用者メリット無しの路線別複々線になってしまうっ

つまり、ここで突如、きのこたけのこ分離政策が強行されたのです。

乗り換えは一気に不便に。
「えっ、さっきまで簡単に乗り換えられたのに、品川だけなんでこんなにややこしいの?」
ってなる人、多数。観光客は混乱、ビジネスマンは遅刻寸前、鉄オタは嘆き、心の中でこう叫びます。

なんで品川だけ、仲間外れなんだよぉぉぉ!!


■一部改善…でも焼け石にきのこ

あまりにもひどいこの状況を、ちょぴっとでも緩和しようとしたのか、ちょっと前に、山手線の内回り以外を1番線ずらして、山手線外回りと京浜東北線上りが同一ホームに。
これで「渋谷方面に行く乗り換えはラクになったよね!」という話もあります。

でも、それってきのこ派だけに優しくして、たけのこ派は放置みたいな話じゃない?

確かに利便性は少し改善した。でもそれ、全体から見たら微々たるもので、たけのこ派(=京浜東北下り→山手線内回り)の不満は解消されてない。

まさに永遠の平行線、これまたきのこたけのこ戦争と同じ構図。まさにまさに、焼け石にきのこ。

え?焼石の上にきのこを置いてジュっと焼いたところを、しょうゆをちょいと垂らして食べたらウマイとか。

何を言ってるんだキミは。きのこはな、カサの部分だけ熱を当てたら溶けるんだよ。某きのこ限定w

 


■田町車両センターを潰したタイミングが最大のチャンスだったのに…

個人的には、あの田町車両センターをなくして、跡地を整備したときこそが最大のチャンスだったと思ってます。

「この機を逃すな!」ってくらいの絶好のタイミングだったのに、品川まで方向別複々線にしなかった。

これ、きのこ派とたけのこ派がやっと和解しそうなタイミングで、
「いや、やっぱりこの話、なかったことにしよう」って冷蔵庫にしまっちゃうようなもんですよ。


■じゃあどうすればいいの?

究極的には、「今からでも方向別に整備できないか」って話だけど、現実的には駅構造の制約もありかなり難しいらしいというのが否定派の主張。
でも少なくとも、「品川だけ構造が違う」という点は、絶対にそれだけで日本のGDPを何%か押し下げているといえるほどの非効率を生んでいるはずだ。品川のせいで日本は中国とドイツに負けたのだ(妄想)

 

なので、鉄道ファンとしては、
品川が解決できないようであれば、きのこたけのこ戦争の解決など夢のまた夢!
と全国民を鼓舞し、この問題の重要性を再認識させるべきだと思ってます。

 


■まとめ:我らが戦う理由

きのこたけのこ戦争に終わりはない。
でも、共存はできる

同じく、山手線と京浜東北線だって、うまくやれるはずなんです。
品川駅という、両者がすれ違う場所にこそ、未来の調和がある。

だからこそ、次にホームに立つときは、ぜひ心の中でこう唱えてください。

きのこもたけのこも仲良くなれ。品川よ、目を覚ませ。


次回は、「南武線の本当の顔は夕暮れ時に現れる説」についてお届けします。
ご乗車ありがとうございました。

 

 

皆さんこんにちは。都内某所でスズメのちゅんちゅんをBGMにブログを書いている、筋金入りの鉄道偏愛ブロガーです。

さて、鉄道クラスタの皆様、そして「山手線止まったってよ!会社行けないじゃん!」な皆様。
2025年4月19日、ついに来ましたね。JR山手線・京浜東北線の一部運休

そして今回の報道記事、読んでて思わずのけぞりました。

「山手線外回りの上野―大崎間、京浜東北線の東十条―品川間で終日運休」
「20日は山手線外・内回りの上野―大崎間、京浜東北線の東十条―品川間で始発から正午頃まで運休」

……いやちょっと待て。

京浜東北線が上野で折り返しってどういうこと!?


◆山手線はまあいい、問題は京浜東北線よ

田端から田町まで、山手線と京浜東北線は方向別複々線になっていて、内側2線が山手線、外側2線が京浜東北線。

つまり、京浜東北線が「上野から北に戻る」には、山手線2線のレーンを横切る必要があるわけです。

そんな渡り線、あったっけ?


◆鉄オタ的「渡り線妄想トレース」

ここで唐突に始まる「渡り線探検隊」。

Googleマップの航空写真をズーム、ストリートビューを駆使し、過去の配線図まで引っ張り出して――

うーん……それっぽいの、あるような……ないような……
まるで都市伝説!

でも実際、今回の運休対応で「折り返し」ができてるってことは、上野駅北側、どこかに秘密の渡り線があるに違いない!

もしや上野東京ライン開業の陰で、静かに整備されたんじゃ……? あるいは幻の“上野秘密ポイント”が開通したのか!?

もう、これはロマン。

もはやこれは京浜東北版・世にも奇妙な物語

などと不用意に盛り上げる必要もなく、調べてみると、確かに上野駅の北側に、あるわあるわ、渡り線のオンパレード。

さすが上野駅、鉄道屈指のターミナル。

ぶっちゃけ管理できてるんか思うくらいに、どの線路にも渡り線、渡り線・・・

ポイント通過の音だけでフルオーケストラを演じられそうな気がしてきたぞw

 

確かにこれだけあれば、京浜東北線も折り返せそうね。ただ山手線の運行にはだいぶ支障しそうだから、そこは間引き運転でしょう。

 

◆上野駅、かつての“北の玄関口”は今

そうそう、話はそれるけど(それるのかよ)

上野駅、懐かしいですね。
子供の頃、常磐線で都心に出てくる時は**「必ず上野で乗り換え」でした。
あの時代の上野はまさにターミナル感満載、構内も広くてゴチャゴチャしてて、
「迷宮感」**ありましたよね。

僕はよく、構内の本屋で立ち読みしてました。鉄道ファンとか時刻表とか。
あの頃、スマホなんてなかったから、時刻表を「読む」んじゃなくて「感じてた」んですよ(謎の詩的表現)

それが今じゃ、上野東京ラインの開業で、上野は通過駅に……
いつの間にか、「ただの途中駅」にされちゃったんですよ。寂しい。

本屋、まだあるのかな……
こんど立ち寄ってみよう。あの頃の自分に、会える気がするから。


◆最後に:京浜東北線の“逆走”に敬礼を

結局、今回の運休で一番驚かされたのは、「京浜東北線が上野で折り返せる」という事実でした。

普段、何気なく乗ってる電車の裏には、
こういう**“陰の努力”とか“仕掛け”とか“技術の結晶”**がある。

もうね、鉄道ってやっぱり奥深い。
そしてちょっと不思議で、どこか切なくて、やっぱりロマンなんです。

――というわけで、渡り線の謎、ご存知の方いたらぜひ教えてくださいw
(そしてJR東の中の人、もし見てたら裏話くださいw)

では、次の停車駅は「不意打ちの鉄道萌え」!

今日も鉄道にありがとう。みんな、いい旅を!


※振り替え輸送などの情報はJR東日本の公式サイトをチェックしてね!
※山手線・京浜東北線に乗るときは、運行状況を事前に確認するのがマナーだゾ★

 

追記

 

と、思ったら京浜東北線は東十条で折り返しやん

ニュースソースよくみろっめっ

 


 

ついにこの日が来てしまった。

4月21日発売の「鉄道ジャーナル」、通巻704号。これが、最後の一冊になる。
終着駅。いや、最終列車の発車ベルが静かに鳴り響くような、そんな感覚だ。

この雑誌が棚から消えることで、本屋に立ち寄る理由が、またひとつ、レールの向こうに消えていく。

 


思い返せば、「鉄道ジャーナル」は鉄道雑誌の中でも、ずっと“鉄分濃度”が高かった。
「バス? 飛行機? いやいや、俺たち鉄道一筋ですから」みたいな、ちょっと頑固なおじさん感のある誌面構成。でも、それがよかった。媚びない。浮かれない。だけど、情熱は熱い。まさに、硬派。

子どものころから“鉄”をこじらせてきた自分にとって、この雑誌は、時に教科書であり、時に写真集であり、そして何より、「ここまで深掘りするのか…!」と毎号の特集に頭を下げたくなるような、知的な感動をくれる存在だった。

例えば、車両の置き換えに関する一連のレポート。
単なるニュースじゃなくて、「なぜこのタイミングで?」「地域社会との関係性は?」と、深く掘り下げて考察してくれるあのスタイル。どこか、現場の保線作業員にまで敬意を払っているような、そんな丁寧な筆致に、いつも惚れていた。

 


そして、最後の号の特集は、E217系。

ああ、君が来るのか。と、妙に納得してしまった。

通勤電車でありながら、どこか優雅な顔つき。
横須賀線・総武快速線をずっと支えてきたその姿は、「地味だけど、いざというとき頼れる存在」そのものだった。
まるで、鉄道ジャーナルのように。

 


時代は変わる。
情報はデジタルに、配信は即時に。僕らは指先で未来を追いかけているけれど、それでも、紙の雑誌がくれる“重み”や“構成力”は、簡単に代替できるものじゃない。

雑誌というメディアが、一つの文化としての役目を終えようとしている。
それはきっと、寂しいけれど、誇るべきことだと思う。

ありがとう、鉄道ジャーナル。
これからも僕の本棚で、旅は続く。

また会おう。ページをめくる、その先で。