テツになる勇気。 -10ページ目

テツになる勇気。

テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

 

「ねぇ、なんでそんなに鉄道が好きなの?」

この一言を、軽い雑談かのように投げかけてくる非鉄の友人。
その無邪気な瞳の奥には、純粋な好奇心と、若干の嘲笑が見え隠れする。
嗚呼…またか。そう思った瞬間、私の心の中で赤信号が点滅する。

「論理武装、発動。」

なぜ鉄道が好きなのか?
――それは、エンジニアにとって最も回答が難しい質問のひとつである。

人は愛を語るとき、理屈よりも詩を用いる。
けれど、職業病という名の呪いを受けた者には、それが許されない。


■エンジニアの習性、それは“感情を論理で翻訳しようとする”哀しき本能

私たちエンジニアという種族は、感情を感情のままにしておけない。
「好き」と言われたら「なぜ?」と返す。
「楽しい」と言われたら「どこが?」と深掘りする。
結婚相手にすら「UIが直感的だったから」と答えそうな勢いである。

それゆえ、「なぜ鉄道が好きなのか?」という問いを前にすると、脳内では自動的に“なぜなぜ分析”が起動する。


■実際に“なぜなぜ分析”で「なぜ鉄」を試みた結果をご覧いただこう


Q-Lv1:なぜ鉄道が好きなの?
→「鉄輪がレールの上を走る、あの摩擦音と振動がたまらないから」

Q-Lv2:なぜそれがたまらないの?
→「金属と金属が擦れ合うことで生まれるあの共鳴音には、魂を揺さぶる何かがある」

Q-Lv2ダッシュ:それならゴムタイヤで静かに走る札幌市営地下鉄は?リニアは?道路輸送でゆっくり運ばれてる新車両は?全く興味ゼロ、ナッシングってことでいい?確定ね?」
→(脳内で悲鳴、血管がキレる音)
→「そういうんじゃないんだ…そういうんじゃ…」


この時点で脳のタスク管理がパンク。理論の迷宮に迷い込み、気がつけばレールの上ではなく、自我の断崖絶壁を走っていた。


■そもそも“なぜなぜ分析”は人間関係を破壊する呪術である

会社でバグが出たときの「なぜなぜ分析」はこうなる。


Q-Lv1:なぜバグが出た?
→「テスト不足です」

Q-Lv2:なぜテストが不足してた?
→「その機能、今回は触ってないので」

Q-Lv3:なぜ未修正の部分もテストしない?
→「……お客様は神様ですが、全知全能ではないので……」

Q-Lv4:なぜ神に近づこうとしない?
→「……(無言で内線を外す)」

Q-Lv5:おいどこ行った?
→「……退職代行からお知らせです」


こんな凶悪なツールを、“好きなもの”に使ってはならないのだ。
まるでデート中に“コストパフォーマンス”で恋愛を評価するようなもの。
ロマンもへったくれもない。


■それでも私は、なぜか鉄道を愛してしまうのだ

確かに鉄道が好きな理由は一貫していない。
人をたくさん運ぶ? → 飛行機もバスもできる。
長い車両が連なって壮観? → 単車のローカル線よりトレーラーのほうが好きなの?
時刻通りで精密? → コンビニの棚卸しも大概すごいぞ。

それでも私は、なぜか踏切が鳴ると立ち止まり、
駅の発車メロディに耳を澄まし、
廃駅に咲く草にすら心を打たれてしまう。


■理屈を捨てたとき、鉄道は“宗教”になる

鉄道とは、線路に沿って走るただの乗り物にあらず。
それは、風景を切り取り、時間を運び、人の心を軌道修正する装置。

どんなに意味を求めても、最終的にたどり着くのは「好きだから好き」という論理もへったくれもない、結論ありきの結論だ。


だからもう、聞かないでほしい。

「なぜ鉄道が好きなのか?」

その問いの代わりに、こう言ってくれたらいい。

「最近、どの駅に行った?」
「推しの形式、今も元気?」
「乗ったことないローカル線、教えて?」

それだけでいい。
線路のように、ただ繋がってくれたら、それでいいのだ。


次回:
「なぜ、家の押入れの8割が鉄道むすめグッズで埋まっているのか」問題に切り込みます。
反論は、レールの上でお待ちしています。

🚂💨

皆さま、ご機嫌よう。
本日は、我らがテツ心をくすぐる、ほほえましいニュースからスタートです。

2025年5月31日、JR東日本・水戸支社がまたもや粋な計らいを見せてくれます。
あの「E501系K704編成」を使った乗務員のお仕事体験イベントが開催されるとのこと!

場所は勝田駅構内。参加者は制服着用で点呼から体験できるという、なかなかの本気度。
リアルな運転士気分を味わえる貴重なイベント…と言いたいところですが、筆者は財布と相談の結果、いつものように「高いからいかないけどw」で片付けさせていただきます(笑)

とはいえ、このイベントが取り上げられた瞬間に、僕の鉄脳にある一つの記憶がよみがえったのです。

そう、それは——E501系という、JR東の「迷い」が記録として残された車両の物語


■ 常磐線という、色のルール

E501系の物語を語るには、まずは常磐線の“お約束”から振り返らねばなりません。

常磐線といえば、茨城から東京へ、そして東京から茨城へと人々を運ぶ大動脈。
しかしそこには、「色」による暗黙のルールが存在します。

  • 青帯車両(中距離電車)
     → 交直流対応の優等生。東京〜茨城以北までのフル区間を悠然と走る。

  • 緑帯車両(快速)
     → 直流専用。取手でピタッと折り返す短距離ランナー。

そう、東京〜茨城間を貫くには、交直両対応である必要があるのです。
なぜって? 茨城には直流を拒む“交流区間”という電気の壁があるから。

つまり、青は全区間走れる、緑は東京寄りだけ
この色分けは、常磐線利用者にとってのリテラシー。「色で行き先を判断する」という習慣が、自然と身につくのです。


■ その常識を、E501系はブチ壊した

そして、1995年。JR東は、ちょっとだけ未来を見ました。

「ねぇ、緑色なのに、全区間走れる車両を作ったらどうなるかな?」

・・・こうして誕生したのが、E501系。

一見すると普通の緑快速。でもその心臓部には、交直流対応という青並みの高機能。
しかも音は209系ライクなバリバリサウンド、内装もなんとなく新しさが漂い、「これは…常磐線の未来か!?」と一部ファンは胸を熱くしたものです。

しかし、現実はそんなに甘くない。


■ ギャップに苦しんだ“迷える戦士”

色は緑、でも性能は青。
これはまるで、サラリーマンのスーツ姿に隠された元バンドマンの魂。

その見た目と性能のギャップに、多くの人が混乱しました。
駅の案内でも「快速」なのか「普通」なのかはっきりせず、沿線住民は戸惑い、案内放送も二転三転。まさにJRの“アイデンティティ迷子”状態。

結局、常磐線の緑帯=直流専用、という認識を崩せないまま、E501系は次第にローカル寄りの運用に追いやられていきます。
今では水戸以北で地味に活躍中。静かに、でも確かに、存在感を放ち続けています。


■ でも、僕はE501系を推したい

確かに、E501系は「成功」とは言い難いかもしれません。
でもね、僕はこういう車両にこそ、拍手を送りたい。

それは、E501系が挑戦の記録だから。
「もし緑で全部まかなえたら?」という、鉄道会社の試行錯誤が詰まった1本の電車。
その迷いは、決して失敗ではない。
それは未来へのプロトタイプだったんだと、僕は信じています。


■ そして今、再び脚光を浴びる

今回の「乗務員体験イベント」で、E501系はふたたび表舞台に登場します。

K704編成、しかも方向幕付き。
もうこれは、“わかってる人”に向けた最高のサービスです。

思えばこの車両、青春期の実験的な思想が詰まりすぎてて、ある意味ものすごく人間味があります。
鉄道という無機質な世界に、「人の迷いや夢」がにじみ出ている。
それをまっすぐ走り続けている。……そんなE501系が、僕は好きです。


■ 最後に:E501系よ、君の迷いは美しい。

正解が何かわからないまま、走り続けた電車。
でも、走ったことで、たしかに道を作った。

E501系は、僕たちに問いかけてくるのです。

「迷ったって、いいじゃないか。進もうとしてるなら、それで。」

ありがとう、E501系。
今日もどこかで、変電所を超えていく君の姿を想像しながら、僕は次の列車に乗ります。


🛤「迷いの記録」E501系に、栄光あれ。

宮崎アニメ「紅の豚」のエンディング曲、「時には昔の話を」を聞きながら、ちょっとノスタルジーな話題をしてみようか。

 

今ではシャーッと未来を走るつくばエクスプレス。TX。もはや筑波山を背に、関東平野をブチ抜いて進む、そのスピード感とスタイリッシュさには目を見張るものがある。SuicaもPASMOもピッと通して、Wi-Fiも飛んで、未来ってこんなに便利でいいんですか?ってぐらい進化してる。

でもね。
そのずっと前。
もっとゆっくりで、もっとゴトゴトしてて、もっと…ほっこりしてた鉄道があったんですよ。

その名も、筑波鉄道

 

「パンタグラフ?そんなの飾りです!偉い人にはそれが分からんのですよ」

常磐線10両編成に慣れきった少年時代。電車といえば、10両。駅に来ればホームいっぱいいっぱいの車体がガタンと停まり、ドアがジャキンと開く。そういうものだった。そう思ってた。

だからこそ、筑波鉄道に出会ったときの衝撃たるや

1両。
パンタグラフ無し。
電気?なにそれ美味しいの?な世界。

エンジン音で走るその姿に、少年は本気で「これは電車じゃない…なんか…違う生き物だ」と思った。たぶん、あれは“鉄道の皮をかぶった農耕用ロバ”だったんじゃないかという説もある。嘘だけど。

 

ガチの「筑波」転勤、からの神社ビュー観測所ライフ

父の転勤で引っ越したのは、いわゆる「学園都市のつくば」ではなく、ガチ筑波山の中腹。気象庁の観測所に引っ越してきた我が家は、文字通り「雲行きを読む」暮らしに突入。(読んでたのは親で、自分はなんの関係もなくフツーに小学生ライフを満喫だけど)

 

家から見えるのは、山の中腹から望むダイナミックな麓の平野。
そして、遠くからごくたまにパンタグラフのない1両の鉄道が、のんびりと走ってくる。ミニカーみたいな大きさで。

当時常磐線専属テツ(幼少)で10両がデフォルト当たり前、野田線(当時6両、たまに4両)なんかを「かわいいね」と微笑んでいた自分に、そっと教えてやりたい。
「この先、もっとかわいいやつが来るぞ」と。

といったところを思い出して、懐かしい姿をAI君の力で映像化してみたよ。

 

 

ここまで描けることに軽い衝撃を受けながら、細かいところは微妙に突っ込みたくもなる。なんだよ側面の「TSUKUBA・・・」なアルファベット表記は。そんな敵性言語書いてねーよ笑

筑波山も、右の山頂から稜線を伝ってロープウェーが伸びているのが見えるのも筑波の特徴だけれども、AI君は何を思ったのか、若干手前に引いちゃってる。まあ僕の頭の記憶を具現化するのは容易じゃないよね。

捏造記憶でも、もういいじゃないか。

最近、AIの進化が目覚ましい。画像生成AIなんて、「筑波鉄道に新幹線走らせてみた」くらいは朝メシ前でやってのける。しかもやたらリアル。ためしにやってみたよ。

 

でもそこで思う。
「そんな記憶、なかったよね?」って言われたって、あの頃の気持ちは本物だったんだ。

あの頃、ちょっと不便で、ちょっと寂れてて、でもどこか温かかった筑波鉄道。
ガタンゴトンと走るその音が、耳の奥に残ってる。

ちなみに年に1回か、SLも走ってきた。当時、上野から直通のSLがあったらしい。今じゃ考えられんけど。

SLも、煙を吐いて遠くから走ってくる。Nゲージよりも小さい箱庭を見ている感じだったね。

 

そして今日も、電車は走る

今、あの線路の上は遊歩道になっていて、ちょっとおしゃれな案内板もあったりする。
観測所も駐車場になっちゃったけど、それもまた時代の流れ。

だけど、思い出の中では、今日もあの1両が、パンタグラフなしで走っている。

そしてTXのホームでふと思う。
「パンタグラフ、あるなあ」って。


記憶って、正確じゃない。でも、優しい。
だから、ちょっと捏造くらい、いいじゃない。

今日も元気に、そしてちょっとだけ懐かしさを胸に。
つくばエクスプレスに乗って、あの頃の筑波に、心のなかで旅をしよう。


🚃この記事が懐かしさに刺さった方、ぜひ「筑波鉄道ウソ絵大賞」にもご応募を(※嘘です)

「筑波鉄道は電車じゃない、気動車だ。モハとキハは違うんだぁ」警察の方はこちらへ