パンタグラフのない鉄道に恋をした日〜筑波鉄道という幻〜 | テツになる勇気。

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テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

宮崎アニメ「紅の豚」のエンディング曲、「時には昔の話を」を聞きながら、ちょっとノスタルジーな話題をしてみようか。

 

今ではシャーッと未来を走るつくばエクスプレス。TX。もはや筑波山を背に、関東平野をブチ抜いて進む、そのスピード感とスタイリッシュさには目を見張るものがある。SuicaもPASMOもピッと通して、Wi-Fiも飛んで、未来ってこんなに便利でいいんですか?ってぐらい進化してる。

でもね。
そのずっと前。
もっとゆっくりで、もっとゴトゴトしてて、もっと…ほっこりしてた鉄道があったんですよ。

その名も、筑波鉄道

 

「パンタグラフ?そんなの飾りです!偉い人にはそれが分からんのですよ」

常磐線10両編成に慣れきった少年時代。電車といえば、10両。駅に来ればホームいっぱいいっぱいの車体がガタンと停まり、ドアがジャキンと開く。そういうものだった。そう思ってた。

だからこそ、筑波鉄道に出会ったときの衝撃たるや

1両。
パンタグラフ無し。
電気?なにそれ美味しいの?な世界。

エンジン音で走るその姿に、少年は本気で「これは電車じゃない…なんか…違う生き物だ」と思った。たぶん、あれは“鉄道の皮をかぶった農耕用ロバ”だったんじゃないかという説もある。嘘だけど。

 

ガチの「筑波」転勤、からの神社ビュー観測所ライフ

父の転勤で引っ越したのは、いわゆる「学園都市のつくば」ではなく、ガチ筑波山の中腹。気象庁の観測所に引っ越してきた我が家は、文字通り「雲行きを読む」暮らしに突入。(読んでたのは親で、自分はなんの関係もなくフツーに小学生ライフを満喫だけど)

 

家から見えるのは、山の中腹から望むダイナミックな麓の平野。
そして、遠くからごくたまにパンタグラフのない1両の鉄道が、のんびりと走ってくる。ミニカーみたいな大きさで。

当時常磐線専属テツ(幼少)で10両がデフォルト当たり前、野田線(当時6両、たまに4両)なんかを「かわいいね」と微笑んでいた自分に、そっと教えてやりたい。
「この先、もっとかわいいやつが来るぞ」と。

といったところを思い出して、懐かしい姿をAI君の力で映像化してみたよ。

 

 

ここまで描けることに軽い衝撃を受けながら、細かいところは微妙に突っ込みたくもなる。なんだよ側面の「TSUKUBA・・・」なアルファベット表記は。そんな敵性言語書いてねーよ笑

筑波山も、右の山頂から稜線を伝ってロープウェーが伸びているのが見えるのも筑波の特徴だけれども、AI君は何を思ったのか、若干手前に引いちゃってる。まあ僕の頭の記憶を具現化するのは容易じゃないよね。

捏造記憶でも、もういいじゃないか。

最近、AIの進化が目覚ましい。画像生成AIなんて、「筑波鉄道に新幹線走らせてみた」くらいは朝メシ前でやってのける。しかもやたらリアル。ためしにやってみたよ。

 

でもそこで思う。
「そんな記憶、なかったよね?」って言われたって、あの頃の気持ちは本物だったんだ。

あの頃、ちょっと不便で、ちょっと寂れてて、でもどこか温かかった筑波鉄道。
ガタンゴトンと走るその音が、耳の奥に残ってる。

ちなみに年に1回か、SLも走ってきた。当時、上野から直通のSLがあったらしい。今じゃ考えられんけど。

SLも、煙を吐いて遠くから走ってくる。Nゲージよりも小さい箱庭を見ている感じだったね。

 

そして今日も、電車は走る

今、あの線路の上は遊歩道になっていて、ちょっとおしゃれな案内板もあったりする。
観測所も駐車場になっちゃったけど、それもまた時代の流れ。

だけど、思い出の中では、今日もあの1両が、パンタグラフなしで走っている。

そしてTXのホームでふと思う。
「パンタグラフ、あるなあ」って。


記憶って、正確じゃない。でも、優しい。
だから、ちょっと捏造くらい、いいじゃない。

今日も元気に、そしてちょっとだけ懐かしさを胸に。
つくばエクスプレスに乗って、あの頃の筑波に、心のなかで旅をしよう。


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