【千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)】(佐賀県三養基郡みやき町) | 八百万の神の浮世絵師 持田大輔

八百万の神の浮世絵師 持田大輔

日本最古の歴史書『古事記』を題材に絵を描き活動しています。
八百万の神々が織りなす天地創造、天岩戸伝説など神様の喜怒哀楽が記された神話を少しでも多くの方に知って頂きたいと思います。

【千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)】(佐賀県三養基郡みやき町)

 

 


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『鎮西要略』によれば、神亀元年(724年)、

 

当時の肥前国養父郡司・壬生春成(みぶはるなり)が

 

八幡神の神託を受けて千根(ちこん)の栗が生えている地に

 

社を建てて八幡神(15代応神天皇)を祀ったのが創建とされます。

『太宰管内志』に引用された『外部局日記』によれば、

 

長保元年(999年)、八幡大菩薩千栗宮から油が湧出し、

 

朝廷に献上されたと記録が残されています。

千栗八幡宮が、「千栗」と書いて「ちりく」と読むのも独特ですが、

 

その名前の由来に関係の深い伝承があります。


その伝承によると、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、

 

八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。


その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、

 

「この地に八幡神を祀れ」という神託を授かる夢を見ました。

 

翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から

 

栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから

 

「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったそうです。

承平年間(931年 - 938年)に宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の別宮となり、

 

九州内にある宇佐神宮の別宮の中でも歴史も社格もある八幡宮の総称

 

「五所別宮」または「九州五社八幡宮」

 

・(筥崎宮(福岡市東区)

 

・大分八幡(福岡県飯塚市)

 

・千栗八幡(佐賀県三養基郡)

 

・藤崎八幡(熊本県熊本市)

 

・新田八幡(鹿児島県薩摩川内市)

 

・鹿児島神宮(鹿児島県霧島市))の一つとして崇敬を受けてきました。

南北朝時代には当宮の西に千栗城が築かれ、

 

戦国時代には神域も度々戦乱に巻き込まれ幾度か社殿も焼失しましたが、

 

後に領主龍造寺氏、鍋島氏によって社殿の再興、社領の寄進が行われました。


◆ご祭神
(主祭神)
15代応神天皇(おうじんてんのう)
14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう/応神天皇の母/仲哀天皇の后)

(配祀神)
難波皇子(なにわのみこ)
宇治皇子(うじのわきいらつこ)
住吉明神(すみよしみょうじん)
武内宿禰(たけうちのすくね)
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