【 熱田神宮鎮皇門(あつたじんぐう ちんこうもん)】 | 八百万の神の浮世絵師 持田大輔

八百万の神の浮世絵師 持田大輔

日本最古の歴史書『古事記』を題材に絵を描き活動しています。
八百万の神々が織りなす天地創造、天岩戸伝説など神様の喜怒哀楽が記された神話を少しでも多くの方に知って頂きたいと思います。

 

【 熱田神宮鎮皇門(あつたじんぐう ちんこうもん)】



今は無き「熱田神宮鎮皇門(国宝)」を描きました。



熱田神宮の西門あたりにありましたが、 第二次世界大戦時の空襲で焼失してしまいました。



現在でも5月5日には、神輿渡御神事の神輿(みこし)が、本宮から正参道・南門を経て 鎮皇門跡の西門まで進み、遥かに皇居(京都御所)を望み、皇室の御安泰と国家の隆昌を祈念する祭典が行なわれています。 



熱田神宮は名古屋市熱田区に鎮座し、古事記にも出てくる神代の英雄ヤマトタケルの遺した神剣天叢雲剣・草薙剣(あめのむらくものつるぎ、くさなぎのつるぎ)を妃のミヤズヒメが祀ったのが起源とされる、日本でも有数の由緒ある古社。



草薙剣を奉安したという「土用殿」と、「尾張造」の独特の社殿配置を持つことで知られていました。しかし明治26年(1893年)に伊勢神宮の規模形式に倣って、社殿の改築を行い現在の「神明造」になりました。この明治の改築時に改築を免れていた、五代将軍徳川綱吉が再興したという昔ながらの建築様式を残していた「土用殿」「海蔵門」「鎮皇門」は残念ながら戦災により失われてしまいました。 元亀2年(1571)には織田信長が修造し、「海蔵門」を新造したとさ れます。天正 19 年(1591)には豊臣秀吉が、慶長5年(1600)には徳川家康がそ れぞれ修理を行い、慶長の修理の際には西門である「鎮皇門」が修理造営されたそうです。 



戦前は神輿が「鎮皇門」まで渡御( とぎょ )して 門の上に奉安され、はるかに皇居を望んで祭典 が行われていたと伝わります。



もちろん「鎮皇門」 の実物は見たことは無いので、立派な楼門の姿を想像しながら描きましたが、古い写真を見る限りは三間一戸の楼門で、茅葺屋根の立派な造りです。屋根は出雲大社の本殿のような檜皮葺(ひわだぶき)かもしれませんね。国宝の楼門が見れないのは残念ですが、熱田神宮自体が日本の宝だと思います。幾多の戦果を乗り越えて、現在まで篤くお祀りされていることは有難いです。



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