山本昭彦のブログ -2ページ目

たかが電気の分際で人間様を評価するんじゃねえ!

 

 

ずっとアクセスしてなかったので

アメーバへのショートカットが消えていた。

なので検索したら、

「山本昭彦のブログ」という項目がいくつも出てきた。

 

 

なんか今までと違うな、と思って凝視すると、

ブログタイトルの後に小文字で解説が付加されている。

今まではブログ本文の一部が表示されていたんだが、

それは明らかに私ではない誰かが作った文章だった。

 

 

読んでみるとはあ???

 

 

それはクリスマス・チキンと題したあの記事だ。

解説にはこう書かれていた。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

2023年12月11日 · 

山本昭彦は、トムとジェリーの七面鳥の丸焼きを見て日本人が

クリスマスにチキンを食うようになったことを批判する。

また、クリスマスに食べるチキン …

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

俺がいつそれを批判したよ?

 

どーせチャットGPTとかにでっちあげさせたんだろうし、

あるいは和文を構築する機能がポンコツなんだろうが、

A I なんてこんなもんだ。

ついでに、今イマのパレスチナばなしにも、

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

山本昭彦は、パレスチナ問題の歴史的背景や国際的な背景を分析し、

英国や米国の二股外交や国連の役割を批判する。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

なんて書かれてたりする。

俺の記事はそれほどゴーマンでもバカでもないわ!

たかが電気の分際で人間様を評価するんじゃねえ!

アメーバ離れ加速しそうだわ。

 

奪われた国の子供たち2

 

 

きみに贈る映画100選 No.146 栄光への脱出 1960 USA

 

 

昨夜のBBCを今朝のNHKで見た。

中国が「ハマスを含む14のパレスチナ勢力」の代表を北京に招いた。

パレスチナに統一国家を建設するために、

それらの勢力は協力を約束し、中国もまた協力することを宣言したそうだ。

この中で中国政府は、

パレスチナ問題において、法的政治的に正当なパレスチナがわの組織は、

ただPLOのみであることを明言している。

 

 

PLO=パレスチナ解放機構とは何か。

ちゃんと解説すると眠りを誘うのでいーかげんに書くが、

要は「パレスチナと呼ばれる地域」のアラブ人が

やがて実現されるべき独立建国のために成立させた

パレスチナという仮の国の、仮の政府だ。

成立は1964年。国連はPLOをただちに承認した。

 

 

 

前回の記事をおさらいする。

1948年に国連が「民主的に」採択したパレスチナ分割決議案は、

英領パレスチナを分割して

そこにユダヤ人国家とアラブ人国家を併存させるというものだった。

ユダヤ人組織はこの棚からボタモチばなしに乗り、

パレスチナ(と呼ばれている地域の一部)にイスラエルの建国を宣言する。

アラブ人社会はこれに対して武力をもって応じたが、

第一中東戦争は結局イスラエル側の勝利に終わった。

だが国際社会としては、

莫大な石油資源を有するアラブ諸国を敵に回すことはできない。

あくまでも仲良くしてちょーだい路線を継続するためには、

PLOを否定するわけにはいかなかった。

 

 

このアラブとユダヤの紛争の歴史の中で、

PLOは長きにわたってアラブ側の主人公であり続けた。

そこにはカリスマ的なひとりの人物の存在があった。

ヤセル・アラファト。

私たちの世代にはアラファト議長という呼び名が一般的で、

日本のメディアなどでもその呼称が長い間使われていた。

 

 

アラファトは優れた軍事指導者だった。

若いころにあちこちで武勲をあげ、やがて政治的指導者となる。

優れた軍略家というものは攻勢終末点を見極める。

ここらで手を打とうという、現実的な判断ができるということだ。

クリントンが合衆国大統領の時、

アラファトはイスラエルとの和解に応じる。

これをオスロ合意という。

これによってアラファトはノーベル平和賞を受けている。

 

 

右がアラファト 左はイスラエルのラビン首相

オスロ合意は1993年。ソ連崩壊から2年後のことだ。

むろんそれらが無関係ではありえない。

 

 

太平洋戦争の初期。

日本軍は真珠湾で米艦隊をボコボコにし、

シンガポールやビルマから英国を、

インドネシアからオランダを追っ払い、

下手すりゃオーストラリアまで攻めたろかいと言わんばかりまでに

その勢力を拡大させた。

もしここで、東條英機やら山本五十六やらの、その勝利の立役者が、

ここらまでが限界だね、そろそろ手打ちにしようと、

連合国側に有利な条件で和平交渉を行い実現していたらどうなったか?

 

答 東條も山本も暗殺されて下手すりゃ国内内戦(当社比)

 

 

ノーベル平和賞を受けたのはアラファトだけではない。

イスラエルのラビン首相も同時にこれを受賞した。

そのラビンがイスラエルの若者の手によって暗殺されたのは

それから間もなくである。

聡明な、あるいは計算高く現実的な、

アラブ、ユダヤ双方の指導者たちの思惑は、

盲目的に自己の正義のみを信じる者たちによって引き裂かれた。

アラファトは裏切り者としてその求心力を奪われ、

イスラム過激派の暴走を抑えることができぬままこの世を去った。

 

 

オスロ合意はイスラエルにも、PLOにも、

あんたそう言うけど的な内部対立の激化を促した。

イスラム過激勢力はそれまで以上にイスラエルへのテロを強める。

相対的に双方の穏健派や和平推進派の発言力は弱まる。

度重なるテロによる被害に憤り、

堪忍袋の緒を切ったイスラエル国民が選んだ指導者が、

パレスチナ分割決議案にも、オスロ合意にも強硬な反対を唱える

ベンジャミン・ネタニヤフである。

 

 

めちゃ大雑把&駆け足で今イマのパレスチナまで戻ってきた。

ネタやんが登場してようやく今のガザばなしに行けると思ったら、

今度は中国が絡んで来たw

 

 

習近平の思惑は明確だ。

中国と欧州をつなぐ経済の大動脈一帯一路。

中東がワヤなままではその建設に支障が出る。

中国としてはこの地域が安定し、

しかもその安定を保証し後ろ盾となるのが中国であることが、

世界での中国の覇権を確立するのに有効だとソロバンをはじいた、

ということだろうよ。

いつも言っているように、戦争なんぞは腹が減るから起きる。

過去100年のあいだ。

世界中が「中東に平和を」という美辞麗句を唱えてきたが、

それは結局実現していない。

だが習近平は、今まで誰も言わなかったひと言をそこに加えたのだろう。

「中東に平和を。金ならある

 

 

次回に進む前に、ここらではっきりさせておこう。

私はこの記事で、

パレスチナという国家が存在したことは人類史上一度もない、

と言い切ってきた。

だが「限定された認識によって」は、それは確かに成立している。

アラファトが存命中に独立を宣言したパレスチナ国がそれだ。

ではなぜ私はその認識を有しないのか?

理由はシンプルである。

日本という国家がパレスチナ国を国家として承認していないからだ。

もちろん今のこの国が、

独立独歩の哲学に基づいてそのような判断を下せる国とは思っていない。

それは合衆国に追従した判断にすぎまい。

しかし好むと好まざるとにかかわらず私はその日本人だ。

なのでパレスチナ国を国家として承認しない。

そのように、歴史や世界について何らかの白黒を論ずる場合は、

拠って立つ論拠、それも冷徹なまでの規範を持たねばならない。

私はネタやんのやり口についてはかなり怒っている。

その感情はパレスチナへの判官びいきを生む。

だからこそ感情を排してこの記事を書こうとしている。

 

 

 

奪われた国の子供たち

 

 

言っておくが、私はだいたいこういうタイトルが嫌いだ。

子供たちってとこが特に嫌いだ。

不幸な境遇に置かれた子供を見れば誰だって心が動く。

そこを狙ってる魂胆がバレバレなのが大嫌いだ。

だけど今回のネタの核になるのがコレだからしゃーない。

 

 

 

 

 

この写真集が定義しているその国とは、

つまりパレスチナだが、

人類史上パレスチナという国家が存在したことは一度もない。

つまり奪われたとはタイトルの遊びだ。

そこにはパレスチナ=奪われた者=被害者と印象付けるための

やらしい思惑がベースに敷かれている。

 

 

 

パレスチナは地図の上での「地域の呼び名」にすぎない。

瀬戸内とかみちのくとか、京都から見ての東国とか、まあそんなもんだ。

その名が国際社会において公式名称となったのは、

WW1の直後にパレスチナ委任統治領が成立した時である。

統治を委任されたのは大英帝国。

早い話がイギリスの植民地につけられた名前であって、

国家としての正式な名前として成立したわけではない。

 

 

英領パレスチナには最初から厄介な問題が存在していた。

俗っぽく書くならドロドロの二股疑惑である。

 

 

それまでのパレスチナはオスマントルコ帝国の一部だった。

WW1では英国の敵がわってことになる。

敵を内部から崩壊させるための手段として、

英国はオスマン帝国を構成する各部族に取引を持ち掛けた。

オスマン帝国に反乱を起こしてくれたら、

戦後の、きみたちの民族の独立国家建設を認めようじゃないか。

「アラビアのロレンス」はその辺のところを描いた作品だ。

この場合の取引相手は、とーぜんアラブ民族=イスラム教徒である。

 

 

ところが英国には別の口からお声がかかる。

パレスチナ(と呼ばれているエリア)を、

戦後にユダヤ人に与えると約束してくれるなら

合衆国で隠然たる力を持つユダヤ人社会を動かして、

必ず米国をこの戦争に参加させ連合国を勝利に導くと。

英国はこの誘いに乗った。バルフォア宣言である。

かくして紳士の国は、その二股外交によって

それから百年後の今もなお世界を混乱に巻き込んでいる

パレスチナ問題の種をまいてしまったことになる。

 

 

さあめんどくさいことになった。

英国はアラブとの約束Aと、ユダヤとの約束Bとの板挟み。

のらりくらりと時間稼ぎをしている間に、

パレスチナではユダヤ人の移民がどんどん増えていく。

初めのうちは両者の共存が成立していたが、

次第になんだコノヤロ的な衝突が増えていく。

しかもアラブ・ユダヤ双方にとって

英国は二股の二枚舌の詐欺師の香具師の、

わんわん鳴けば犬も同然な奴であることがばれてしまったので、

双方からてめーコノヤロ的な反抗運動がおこる。

WW2が終わると

英国はついにケツをまくってツケをよそに回した。

この件は一切国際連合にお任せしますんであとはよろしく。

 

 

国連は絶対的な正義か?

それは街の金持ちたちが集まって勝手に作った町内会のようものだ。

そこでの正義も道徳も倫理も、彼らのそれがベースになっている。

多数決は無欠の民主主義か?

それは、少数派は沈黙し耐えることを強要されるという点で

民主主義が否定するはずのファシズムと共通の暴力を伴っている。

国連は「民主的に」次の決定をくだした。

パレスチナをふたつに分けて、

アラブ人国家とユダヤ人国家の両方とも独立させてやるから、

これ以上ケンカすな!

 

 

めちゃくちゃ大雑把に言って、

ユダヤ人側はこの分割決議案を受け入れた。

だって棚からボタモチだもんな。

ところがアラブ側は納得できない。

そもそも、そのあんこも餅も、我々の物ではないか。

これまでも入植してきたユダヤ人に土地を奪われ利益を奪われ

しかもなんだコノヤロ的武力紛争で多くの犠牲者も出ているのに、

いまさら、じゃあ半分は明け渡しますので

これから仲良くやりましょうなどと言えるもんじゃない。

そもそも国連決議など彼らの知ったことではない。

国連は国連でも国際連盟ってやつが昔あったよなー、

あのコクレンが俺たちに何をしてくれたよ?

結局は西欧列強の利益のために俺らを利用してきただけじゃないか!

とーぜんそんなふうにしか思っていない。

彼らは彼らのやり方で独立を勝ち取ろうとした。

 

 

 

パレスチナ分割決議案を政治的根拠として、

ユダヤ人はそこにイスラエルの建国を宣言した。

ほとんど同時に、シリア、ヨルダン、エジプトなどのアラブ連合軍が

ざけんじゃねー的に、パレスチナに進撃を開始する。

第一次中東戦争である。

 

 

きみに贈る映画100選 No.146 栄光への脱出 1960 USA

 

 

この作品はパレスチナ分割協議案が採択される直前直後の、

なんだコノヤロと、てめーコノヤロの情況を描いている。

しかもややこしいことに、

これにユダヤ側の内部対立が絡んでくる。

ユダヤ人社会の自衛的軍事組織であるハガナーと、

過激派テログループであるイルグンとの、

あんたそう言うけど的な近親対立だ。

主人公のポール・ニューマンはハガナーの上級指揮官。

とりあえずそういった基礎的な構造を事前に理解しておかないと、

訳が分からない映画ってことになる。

なのできみの理解を手助けするつもりで今回は書いた。

次回からはパレスチナへもう一歩踏み込む。

 

 

 

この記事の執筆中に、

イエメンのイスラム武装勢力がイスラエルを攻撃し、

イスラエルは遠く離れたイエメンにミサイルを撃ち込んだ。

これでイスラエルは、

ハマスとヒズボラとフーシ派の3者を相手にした

同時多局面的な戦争に突入することになる。

だけどそんなことでイスラエルはビビらない。

第一次中東戦争だって、

ほとんど全アラブを敵に回して彼らは勝利し、

パレスチナ分割案を大幅に超える占領地を獲得したのだから。

それはあたかも、

日清日露に勝利し、

大いなる勘違いの泥沼にはまっていった日本のようにも見える。

 

 

 

 

震電編とっとと終わるぞ

 

 

 

 

プラモデルのパッケージだが、

古い写真よりこっちのほうが解説に向いている。

東海もまた九州飛行機のオリジナルモデルだ。

画像の通り、潜水艦を発見し攻撃するための機体で、

昭和19年の秋になってようやく実戦配備された。

 

 

このころフィリピンはすでに制圧されている。

南方資源地帯からのシーレーンはこれで完全に途切れた。

米軍としては、あとは日本本土を完全に包囲し、

FDルーズベルトの言う

「ジャップを4つの島に閉じ込める」戦略を完成させればいい。

そこで米潜水艦隊が最も重視した戦域のひとつが、

豊後水道だ。

 

 

豊後水道は物資輸送のルートというだけでなく、

瀬戸内海に本拠地を置く連合艦隊が外海に出るための

いわば表玄関にあたる航路だ。

ここに網を張っておけば

日本の海上交通のメインストリートを押さえたも同然。

てなわけで「深く静かに潜航せよ」でもここが戦場となった。

 

 

その豊後水道での、

対潜作戦の拠点となったのが佐伯基地だ。

最新鋭の対潜哨戒機・東海は、まず佐伯海軍航空隊に実戦配備された。

 

 

不格好な機体だけどね。これでも一応最新鋭。

機首の「アゴ」の部分までガラス張りになっているのは

翼下の海面を広範囲に視認するためだ。

また、上空から見ればメザシ一本にしか見えない目標に

確実に爆弾をぶち当てるには、

できるだけ垂直に近い角度で突っ込んで爆撃する必要がある。

なので東海の急降下角度上限は七五度に設定されているが、

これは第一線級の急降下爆撃機と同じ値だ。

そのほかにも低空での安定性を担保するための機体設計や、

最新の対艦レーダーの装備など、

東海は、その姿こそ震電とは対照的なだっせー機体だが、

そこには九州の福岡のド田舎の超マイナーなメーカーの、

エンジニアたちの知恵が結集されていた。

 

 

震電はB29を撃墜するために開発された。

東海は海上交通を保護するために作られた。

どちらも Defense Force だ。

生半可なディフェンスじゃない。

それはめちゃ切羽詰まった、生きるか死ぬかのディフェンス。

焼夷弾によって生きながら焼かれる人々。

食うコメの一粒もなく餓死するしかない子供たち。

九州の福岡のド田舎の超マイナーなメーカーの、

無名のエンジニアたちの知恵が結集されていたこれらの機体は、

そのような人々を守るために開発されたのだ。

 

 

贈るも贈らんもなんつーか、な映画 ゴジラー1.0 2023 東宝

 

 

 

ゴジラは火を吐き放射能をまき散らす。

まさにB29そのものだ。

だからこの作品で最後に震電を持ち出したのは、

製作者がこの機体の成り立ちを理解していたからこそだろうと、

私にはそういう好意的な解釈もできた。

そして、もし私がこのホンを書いたなら、

この機体に込められた、これを作った人々の思いを、

いやーこれはちょっとそこにウエイトを置きすぎですよー

これは何やかや言ってもエンタメなんですからー

と批判されるぐらいには盛り込んだに違いない、と思った。

この映画はそうなっていない。

ここで描かれる震電はただのプラモデルだ。

祖国を守るとか愛する人を守るとか、

そういうオイシイところは全部主人公とか鬼畜浣腸が持っていくw

 

 

戦後、日本の航空産業はすべて解体された。

九州飛行機は路面電車などの車台=シャーシーを作る工場になり、

西鉄電車の下請けとして存続することになった。

震電や東海に込められた願いは、

戦後復興といういのりに姿を変えて博多の街を走った。

街にはやがて屋台の灯がともり山笠の男たちが帰ってきた。

 

 

マイナスワンにとっての私はそういうことを思った。

私にとってのマイナスワンは、しょせんおもちゃ箱にすぎない。

 

おまけ。その西鉄電車もラドンに吹き飛ばされる運命にあったw

 

 

今もなお、生きながら焼かれる人々がいる。

一滴のミルクもなく餓死していく子供たちがいる。

次回はオットー・プレミンジャー「栄光への脱出」

タイトルは「奪われた国の子供たち」

掲載日未定。

この件に関しては俺はかなり怒っているので

冷静な筆致にするには少し時間がかかるかもしれん。

 

 

 

きみは真昼の星を見たか4

 

 

撃たれて数分後の写真だ。

SPにのしかかられて守られている間の数分に

彼は、このあと自分が何をしなければならないかを考えた。

その答えがこれだ。

 

 

さてこの写真だが、

まさに完全な構図と言っていい。

仰ぎ見るアングル。その背景に星条旗。

絶望的なほどに完璧だ。

どんなレンズをつけていたのかはわからないが、

仮にズームレンズだとしたら、

撮影者はとっさに、ズームリングを望遠側にまわして

星条旗をトランプに近づけたのだろう。

とっさに腰をかがめてカメラを上に振ったのだろう。

 

 

合衆国の国歌「星条旗」は、

南北戦争を戦った者たちを勇者とたたえる歌だ。

そして、

「その旗は今もそこに翻っているか?」

「きみにもその旗が見えているか?」と、

彼らと同じプライドを我々も持っているかと問う、

そういう歌だ。

この写真は、これを見る者の心にその曲を再生させる。

こいつは効くぜ。

撃たれたのがジョーならどうだったろう?

多くの者がそう考えるだろう。

あの老人がこのように吠える姿を誰が想像できるだろう。

テロは時として、冗談すぎるほどの逆効果を生むものだ。

 

 

JFKや弟のロバート、その後にレーガンも撃たれている。

大統領クラスの暗殺が「またか」な国、それが合衆国だ。

そのような、背骨を通る緊張感が

この決定的な一枚を撮らせたのだろうな。

真昼の星は見えない。

しかしそれはそこにある。

夜になってから見えても、それでは遅い星もある。