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OTAIMOのブログ

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おわった~DASH!

明日からゴールデンウィークだ~音譜

11連休汗

いつもなら喜んでしまうとこだけど、休み多すぎあせる

怒られちゃうかな~汗

お金もないしこまっちゃうショック!


とは言えやることはあるかなっ

明日はBBQ、明後日は南大門(友達がやってる焼肉屋、よろしく!!

4日もBBQ、多分もう1回BBQあるかなにひひ

肉ばっかグッド!

いやビールかビール


でも働きもするぞ!!

嫁の実家のお茶を手伝うし

友達の畑も手伝いたいし

ビンボー暇なしハチ





ボランティア最後の家へ向かう

リーダーが昨日訪問したが、やり切れなかった所へ行った。

すでに居た他のチームと合流し12人の大人数となった。

川から溢れた水が床上50cmぐらいまで来た様で、水を含んだ引き出しが膨張し開かない

しかたがないので、バールでこじ開けようとしたが、やはり壊れてしまった。

畳が外されていて、床に水を流しデッキブラシで擦った。

家具も外へ出し水洗いする。

ここの泥は黒い油が混ざっていて厄介だった。

雨が強くなったら引き上げる様に言われていたが、作業してると忘れてしまう

そろそろ休憩か?と時計を見た時は15:40、あと20分で引き上げる時間だ

急いで外に出ている物をしまい、片付けた。

なんとか作業を完了する事が出来たDASH!

いままで一階は土足での生活だったけど、これで靴を履かなくてもいい。

家の人が、「ありがとうがざいました」とリポビタンDをくれ、その横でおばあさんが泣きながら会釈をしていた。

それを見た12人みんな急いでそこからはなれた気がした

ただ感謝の涙ではなく、今までの事、これからの事、色んな思いのこもった涙に

だれも対応出来る訳がない。


帰り道の交差点で、水が溢れくるぶしくらいの深さになっていた。

この日は大潮、地盤沈下のため満潮になると冠水する。

もう勘弁してくれ・・・


あっというまに二日が過ぎてしまった。

あっというまだったが、多くの出会い、多くの経験をした。

そして分かった

みなさん前向きだ!!

瓦礫の街の中、笑顔で「ごくろうさま」とあめをくれる人

冗談を言い笑いながら作業する人達

全て流され泥まみれの店で、再開したら来てくれと言える店主

骨折して一人でも、もう怖いものはないと笑顔で言えるおばあさん

自分の家は大丈夫だからと毎日ボランティアする青年

店もチラホラ再開している

みなさん尊敬します。


最近自粛ムードも和らいできたけど、するしないはまったく被災地には関係のない話。

これを自粛した事で浮いたお金で支援しましょうと言うなら意味はわかるけど。

行動するのかしないのかだけで、さらにマイナスじゃだれの為にもならない。


実際行ってみて、だれでも役に立てる事がわかった。

これからも出来ることをやっていこうとおもう。





ボランティアに来たのに観光気分か?

帰って誰かに伝える為?映像は十分テレビで見てるし、実際の状況もそれ以上ではない。

ただ、すぐ目の前にして感じる迫力、異様な雰囲気は行かなきゃ感じられない。

自分にはとてもカメラを向ける気にならない。

人それぞれの考えがあるだろうけど、被災した人への配慮はして欲しい。


依頼者のお宅は料理屋だった。

床には泥が積もり、業務用の大きな冷蔵庫が倒れていた。

土嚢袋に泥を入れ運び出す。

泥の中から食器が出てくるが、また使えるだろうか?

泥はドブの様な悪臭がし、においがとれない気もするが・・・

黙々と作業をしている店主の顔がずっと悲しげだった。

作業が終わると少し微笑み「ありがとうございました。店が再開したら来てください」と缶コーヒーをくれた。

え?意外な言葉。絶望してると思っていた店主が、前向きな発言をし、自分達に気を使ってくれている。

普通に考えれば普通の言葉なのに、何で意外と感じたんだ?

被災者=弱者、みたいな感覚になっていたんじゃないのか?

ショック・・・しょせん自分はそんなもんか

がっかりだダウン


車に乗り込みボランティアセンターへ戻った。

睡眠不足と疲労でこの日は20:00ぐらいに寝てしまった。ぐぅぐぅ


次の日は雨だった。

チーム分けの前に「福島の影響があるので、雨が強くなったら無理せず引き上げて下さい」との事

放射能か?今日で帰るのに、途中で終わるなんて無念すぎるしょぼん

絶対いやだ!!

この日のチームは自分と同じ二日目のおっさんと若い女子二人、初日の群馬人とチャリで毎日通う18歳の青年で6人組。

やはりまずは車内で自己紹介。

チャリ通青年の家は床下浸水でとどまったので他の家を助けるのだという。

今回の依頼者宅は大きな一軒家で、おばあさん一人だった

水の被害はなく、片付けだけだったのですぐ終わった。

おばあさんは、コーヒーとお茶菓子を出してくれ、地震が起きたときの体験談を話してくれた。


旦那さんは脳梗塞で入院していて、やはりその時も一人だった。

あじわった事のない激しい揺れ。

壁から額が落ちてくる。

家の外に出ようと玄関にはって行くと戸が揺れで開閉している。

挟まれずなんとか外に出るも転倒。

隣の家を建てていた大工に助けられ空き地へ逃げた。

転倒時ケガをしてたので病院に行きたいけどひとり

自力でなんとかたどりつき、診てもらうと

左大腿骨骨折。

この歳でこんな大怪我してよく自力で来れたとびっくりされたと言う。

この地震を乗り越えれたんだからこの先どんなことがあっても大丈夫と笑顔で話していた。


まだお昼前、次の家に行きましょうと腰を上げると

びっこ引きながら外まで見送りに来てくれて

「車で寝るぐらいなら家へおいで」と言ってくれました。

今日で帰ってしまうので、泊めてもらう事はできませんが

また会いに来れる機会があればいいな。


そして次の家へと向かった。

























17日(日)18:00頃家を出た。

杏林堂で食料と支援物資の発砲酒を24缶×12箱(自分なりに悩み調べた結果)を買い高速にのる。

東名~首都高~東北道へ入り栃木あたりから道の修復が増えていき、次第に段差もひどくなる

それに比例して緊張も高まっていく汗

緊張のせいか眠くならない。そのまま現地に着いてから寝ようかと思ったけど状況が分からくて怖いから

残り80kmのPAで3:30頃寝ることにした。


6:30頃目が覚めた。

まわりを見ると作業服とカーキ色の服を着た男しかいない

スウェットにパーカーの自分は明らかに場違いで急いで着替えたあせる


いよいよ石巻市に入り、いつ悲惨な状況に出くわすかと気構えて走った。

ところが、ホコリっぽかったり、外壁に水の跡が残ったりしているものの

思いのほか普通の町並みだった。


専修大のボランティアセンターに着き、受付を済ますとすぐにニーズに合わせたチーム分けが始まった。

自分のチームは、14日目のベテランさんがリーダーとなり、二人組みの大学生と東京からきた三人組みの

7人組みとなった。


リーダーの1BOXカーに道具を積み込みいざ出発!!

車の中で一通り自己紹介が済み、来たとき通った道を横切った

絶句・・・不意を突かれた

突然別世界に入り込んだ

瓦礫の山、傾いた家、わざとらしいまでに色んな格好をした車がそのままの格好で残されている

おかしないい方かも知れないけど、テーマパークのアトラクションを見ている感じがした。

東京の三人組みが窓を開けデジカメや携帯で写真を撮りだした。

石巻市でのボランティア活動を終えさっき帰ってきた

あっという間に過ぎてしまったしょぼん


行くまでは、知らない地で大変な状況に風呂も入れず一人

二日だけでも辛いだろうと思っていた

確かに悲惨な状況、大変な作業だったけどもっとやりたかった

帰り道、宮城に背を向けているのが辛い

一緒に作業したチームの顔や被災した人の顔を思い出し

みんなまだあそこに居る

なんで自分は帰っているんだ

人手は足りないのに・・・

悔しくて泣けてきた


なぜ行こうと思ったか

手伝いたい気持ちもあったが

来る東海大地震の前の心構えと経験をしておきたかった

好奇心的な物もあったと思う


でも今度は手伝いたい!!

自分も力になれるとわかった

必ずまた行く

そして復興した石巻市を見たい!!



さかのぼるけど、出発からのことを

また書こうとおもいます。