今日は塩野七生の「レパントの海戦」を紹介します。
これは、塩野七生の中世3部作、「コンスタンチノープルの陥落」、「ロードス島攻防記」に続く3作目です。
塩野七生は、「読者へ-あとがきにかえて」の中で次ぎのように言っています。
「この種の戦争(注:異なる文明の対決という意味での戦争)で、舞台が地中海世界で、時代は私の守備範囲であるルネッサンスとなると、3つしかありません。
1453年のコンスタンティノープルの陥落」と、1522年のロードス島をめぐる攻防と、そして、1571年のレパントの海戦と。」
さらに、作者は続けます。
「結局、この3つの戦闘はそれぞれ、これを描くにはこのやり方が適している、と私が思った手法で描くしかなかったのです。
50日には50日にふさわしく(注:コンスタンチノープルの陥落)、6ヶ月は6ヶ月なりに(注:ロードス島攻防記)、そして5時間は、その5時間に向かってクレッシェンドし(しだいに強くなり)、5時間の終わった後はデクレッシェンドしていく(しだいに弱くなる)というふうに。」
という訳で、レパントの海戦は、1571年の10月7日に、ベネチアやジェノバ、スペイン、ローマ法王庁等のキリスト教側連合軍とトルコ軍とが、ペロポネソス半島のつけ根レパント海域で戦ったおよそ5時間の海戦です。
登場人物は、ベネチアの参謀長アゴスティーノ・バルバリーゴ、コンスタンチノープル在住のベネチアの大使マーカントニオ・バルバロ、そして連合軍側の総司令官ドン・ホアン、ベネチアの最高司令官セバスティアーノ・ベニエル、スピン、スペイン海軍の傭兵隊長ドーリア等々まさに多彩です。
一方トルコ側ではイタリア人でありながら海賊としてトルコ側についたウルグ・アリ、トルコ側の最高司令官アリ・パシャ、スレイマン大帝の後を継いだ新しいスルタン、セリム、といった面々です。
両軍とも軍艦は200隻を超え、船乗りは1万3千、こぎ手4万人、戦闘員3万人等で、総勢約17万人のまさに運命を左右する歴史的ないでした。ただし大砲の数は、キリスト側が1800門を数えたのに対し、トルコ側は750門とキリスト教側が圧倒していました。
そして10月17日の正午過ぎいよいよ戦闘は開始されます。トルコ側のアリ・パシャの旗艦からの砲音をきっかけに、キリスト教側のドン・ホアンの旗艦からも砲音が返され戦闘が開始されます。
当時の海戦は、始めは大砲の撃ち合いですが、お互いの船が接近してくると、まさに陸上での戦いのような白兵戦となります。本隊、左翼、右翼を問わず激闘が続けられましたが、その日の夕刻にはキリスト教側の勝利で激戦は終息します。
この戦いによる戦死者は、トルコ側が約8000人、キリスト教側が約7500人と、キリスト教側も大きな犠牲を払うことになりました。特にベネチア軍が犠牲が多く、戦死者は4800人を数えました。ベネチアの勇敢な参謀長バルバリーゴもこの戦いで戦死します。
この本でも作者の筆は軽快で一気に読ませます。登場人物を描く筆も明快で、生き生きとその人物を思い描くことができます。
このような歴史書のような歴史小説のような体裁の読み物は、この作者の極めて得意な分野であって、歴史好きの読者にはたまらない魅力でもあります。
