前2回は三島由紀夫の「豊穣の海」について書きましたが今回からはドストエフスキーです。
最近、昔読んだ本を読み返してみたいという気持ちが強く、この間まではドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいました。
ドストエフスキーと言えば、なんと言っても「罪と罰」でこれまで4、5回は読んでいると思います。高校生の頃、寒い冬の夜、勉強もそっちのけで、ストーブにあたりながら「罪と罰」を読んだ思い出があります。当時読んだのは旺文社の黄緑色の文庫版で(今はありません)、それには挿絵もついており、その絵を今も覚えています。
ドストエフスキーの小説のおもしろさはたくさんありますが、まずは登場人物のおもしろさです。「罪の罰」にも、主人公のラスコーリニコフのほか、その恋人である聖なるソーニャ、ラスコーリニコフの妹ドーニャ、ドーニャの恋人でラスコーリニコフの変わらぬ友人ラズーミヒン、ソーニャの父の小役人マルメラードフ、その狂ってしまう妻、謎の人物スピドルガイロフなどなど本当に様々なキャラクターの人物が登場します。
この点、三島由紀夫と比較するのもなんですが、三島の小説の登場人物はあまりおもしろくありません。
ドストエフスキーという人は、なぜにこれほどまでに人物を描く力があるのか、人間を洞察する力があるのか、その想像力と創造力には驚嘆するばかりです。
それはともかく、「カラマーゾフの兄弟」ですが、こちらも「罪と罰」に劣らず登場人物が多士済々です。まず、カラマーゾフの3兄弟、熱血漢で直情型でかつ単純な長男ドミートリー、冷静で知的であるが心の底に熱情を持つがゆえに狂ってしまう次男イワン、愛にあふれ現代のキリストとして登場する3男アリョーシャ、この3兄弟の父で、好色で破廉恥で金にきたないフォードルともうこれだけでも興味津々です。それに加えて町の修道院の長老とその長老を許せない修道士、カラマーゾフ家の召使でフォードルの子供とも思われるスメルジャコフとその育ての親、カラマーゾフ家と様々なかかわりを持つ2人の美しい女性、などなど個性的な人物が目白押しです。
これらの登場人物はいかにも現実の世界にも存在するようなリアリティを持っているのですが、しかし実はこんな極端な性格を持つ人間は実は現実にはいないのです。
そういえば、ドストエフスキーの小説のおもしろさには会話のおもしろさがあるのですが、その会話とてつもなく長く、まるで演説をするようで、実はこんな会話も現実には絶対ないものです。
このような現実にはない登場人物tと会話の中に、いかにもリアリティを感じさせるところに、ドストエフスキーの腕というかうまさがあるのだと思います。
