OECD (Organisation for Economic Co-operation and Development)  という組織を皆さん聞いたことがあるかもしれませんが、彼らが定期的に発表するリポートにEducation at a Glance というものがあります。このリポートでは先進諸国の教育に関するデータを比較しています。


今現在仕事で、このOECDのデータ分析に取り組んでいます。

分析といっても、結局のところ、このデータというのは信頼できるかどうか、というのを判断するだけです。


OECDのデータを見ていて、正直なところ、OECDのデータを100%信頼できるかといえば、それは首を傾げざるを得ないと思います。まずその理由として、一つ一つの国の違いが挙げられます。


国によって教育システムが全く異なるので、単純に高等教育の比較といってもなかなか簡単ではありません。

国によっては3年のシステムもあれば、6年のシステムもあったり、もしくは専門学校を大学扱いにしているところもあれば、そうでないところもあったりと、違いを挙げればそれこそきりがありません。例えばそれで大学卒業率を比較、というのはちょっと無理があるように思います。


また各国がOECDにデータを提出する際、そのデータをそれぞれの国がどうやって集めたか、というのは各国の判断にゆだねざるを得ないわけであり、各国が提出するデータをOECDがチェックするシステムがありません。


しかしその割には結構踏み込んだデータが多いのですが、それはほとんどSample Surveyで集められたので、本当にそれを信じきることに多少戸惑いもあります。


比較というのは簡単そうにみえて難しいというのが僕の意見です。

人間の身長を比べるようにはいきません。


またデータを単純に比較したとしても、質を考慮に入れることは出来ません。

例えば、大学のSurvivalRate(学生が大学にとどまる率),日本はダントツでトップですが、逆にこれは日本の大学の質の低さを物語っているよなー、なんて思ってしまいました。


しかしOECDは教育において、唯一の国際比較を行っている団体なので今はこれに頼るしかありません。

影響力はありますが、でもあまりこのOECDのデータで大騒ぎしないほうがいいように思います。







先日、ボストンにある新聞社から僕のところへ電話がかかってきました。

電話の内容は、うちの職場が数ヶ月前に発表した州の高等教育への支出を調べたリポートに関してで、

なんでもマサチューセッツ州の次の知事候補政治家が、スピーチの中でマサチューセッツ州は高等教育への支出が全米でワースト10に入る、ということをうちらのリポートを基にして述べたようであり、それは一体本当なのか、というのがその内容でした。


結果から言うとそれは正しいのですが、ただし付帯事項があります。

つまりどういうことかというと、州の住民一人当たりの支出だと全米50州のうち下から数えて9番目になるのですが、学生一人当たりの支出になると全米で上から数えて7番目になります。


州民一人当たり:

http://www.higheredinfo.org/dbrowser/index.php?submeasure=81&year=2005&level=nation&mode=graph&state=0


学生一人当たり:

http://www.higheredinfo.org/dbrowser/index.php?submeasure=67&year=2005&level=nation&mode=graph&state=0



しかしこの話をすると、そんなことが可能なのか、とすかさず記者の人に突っ込まれました。

州の学生一人当たりの支出は全米でも高水準なのに、それがどうして住民一人当たりになると低水準に下がってしまうのか?


いわれてみればそれもそうだと考えてしまいました。確かに学生一人当たりの支出が上位にランクされている州が、州民一人当たりだと下位になってしまう、というのはグラフをよく見てみるとマサチューセッツ州しかありません。


とっさに考え付いたのは、「マサチューセッツ州は人口が多いから?」

たしかに人口が大きければ大きいほど、一人当たりの支出は少なくなります。

しかし、マサチューセッツ州の人口は630万人ほどであり、州としては普通のサイズなので、これは理由にならないとすぐに思い、でかかった言葉を飲み込みました。


しかもマサチューセッツ州の場合、ただ下がっただけではなく、最下層にまで落ち込みます。

一体何が理由なのだろうと、僕も考え込んでしまいました。


記者の人は締め切りが迫っているせいか、早く記事にしたくてしょうがないようでイライラしているのが伝わってきます。こういうときってこっちも焦ってしまうのですが、向こうのペースにのらないことが大事だとは、よく自分の上司がいっていたことなので、一旦電話をかけなおすといって、(半ば無理やり)電話を切りました。


電話をきって、すぐ上司の所に行き、同じ質問をしました。

上司も2,3秒考えこんでいましたが、すぐに「あーなるほど」といって、彼のコンピュータの方へ突然向かい、あるデータを見せてくれました。


それは、マサチューセッツ州における学生数の分布で、全国平均との比較をしているデータなのですが、

これによると、マサチューセッツ州の半分の学生は私立に通っているということです。

全国平均は80%が公立なので、この私立の学生の割合は全国的に見ても例外になります。


はじめそのデータをみてもピンと来なかったのですが、ちょっと考えているうちに、「あ、そっか」とやっと彼のいわんとしていることを理解しました。


どういうことかというと、アメリカにおいて、私立大学は(一般的に)政府からの援助金はありません。

そして、マサチューセッツにおいては高等教育システムの半分は私立であり、その分支出をしなくていい、ということになります。


一方他の州は80%が公立に通う学生なので、マサチューセッツ州と同じ支出水準を維持しようと思うのなら、30%余分に支出が必要となるわけです。学生一人当たりの額は同じレベルでも、合計額はマサチューセッツ州のほうが少なくなりますよね。したがって、同じ人口数の州ならば、マサチューセッツ州の学生一人当たりの支出が高いのに、人口一人当たりになるとそれが逆転する、ということは起こりえるわけです。


ちょっと話がややこしくなりましたが、ともあれ、謎が解けたので、すぐに記者に電話しました。

彼女も「なるほどー」と納得してくれて、自分もほっと胸をなでおろしたのですが、それもつかの間、

「それじゃーマサチューセッツ州は、他の州に比べて高等教育の負担が少ないから、公立の学生数を増やしたりもっと支出を増やせるということなのか」

と更に踏み込んだ質問をしてくれました。


さすがにその辺にくると、自分もよくわからないだけでなく、政治的要素を含んだ発言になってくると思ったので、それは避けたいと思い、「それは州の人たちがきめることではないでしょうか」と当たり障りのないことをいって、丁重に電話を切りました。


でもその質問は自分も気になったので、そのあと上司のところへ行き、また同じ質問をしました。


今度は彼は考え込まずに、それは「州における高等教育の位置づけによって決まる」と答えました。

それはどういうことかと聞くと、ようするに州の経済を発展させたいのなら、州立大学の存在は重要であり、学生数を増やせばいいし、支出も増やせばいいわけだけども、それが最重要課題かどうかは州によって異なる、という答えが返ってきました。


確かにそうだなと思っている自分に、さらに上司は、

「しかしマサチューセッツの支出は過去数年の大きな財政削減を終えて再び成長過程にあり、しかもすでに学生一人当たりの支出は全国でもトップレベルにあるわけだから、ここからさらに支出を増やせというのはあまり受け入れられない論理ではあると思う」と述べ、自分だったらそこまで記者の人に言っていたと思う、と笑いながらもちくりといわれました。


そういうものかと、自分のオフィスに戻って、一息入れながら、自然と記者と上司との一連のやり取りを反芻しているうちに、いろいろな考えが浮かんできました。とくに強く感じたことは、自分自身もっと各州の前後関係を知るように勤めなければならない、ということでした。


データを扱う際に重要になる視点、それを個人的にPolicy Perspectiveと勝手に呼んでいますが、存在するデータにどのような解釈を加え、どのようなアジェンダを推し進めていくのか、ここがデータを扱う人にとっての勝負点になると思います。データを分析するなんてことはそこまで難しいものでもなく、数年訓練を受ければそれなりにものになります。しかし、このPolicy Perspectiveというのは、分析よりも難しいと最近よく感じます。


Data-Driven Organizationなどといわれるように、政府レベルでも、大学レベルにおいても、データ重視の姿勢は変わりません。しかし、同じデータであっても、そのデータ持つ意味は、それを扱う人によって全く変わって来ます。ただ無味乾燥なデータを分析することのみに終始するのか、それともそれに意義を吹き込んでいくのか、今後はこのPolicyPerspectiveをしっかりと磨いていこう、そう思わされた日でした。


気がつけばそろそろコロラドに引っ越してきてから1年が過ぎようとしています。

そしてこの8月でアメリカに来てから5年になります。

まだ5年しか経っていないのかーというのが正直な心境です。

なんかもう10年くらいいるような気がするんですよね。

それはそれだけこの5年間の内容が濃かったということだった、ということで納得しています。


アメリカに来てから、ありきたりな言葉ですが、随分色々なことを学びました。

学んだ分自分は成長したのか、というと首を傾げたくなりますが、まあこれから頑張る、ということでいいかなと思います。


アメリカに来た当初は、アメリカで仕事をして頑張っている日本人をみて、雲の上のようなまなざしで見ていました。

英語がまったくできなくて、人と話すのが怖くて、でも日本人と会うのも妥協したようでいやだったので、人間自体と全く会わないなんていう時期も随分ありました。

それでも、時間が経つにつれて、英語もできるようになってきて、見方も随分変わりました。

いつのころからか、自分もこっちで働く、と強く思うようになり、第一歩としてインターンシップを無理やり見つけました。


あまり自分の中にこれといったポリシーというものがない人ですが、

それでも仕事をする上で、一つ決めていることがあります。

それは「どんなに理不尽なことを言われても絶対にNoと言わない」ということです。

働く上で当たり前といえば当たり前のことかもしれませんが・・・。

そして不思議なもので、これは無理かなーと思ったことも結果的にできているわけです。

コミュニティカレッジで働いている時の自分の上司も同じことを言っていました。


そういうわけだから、英語に全く自信がないのに、電話調査プロジェクトを担当してくれといった時も僕はYesといいました。

そうはいったものの、いざとなると電話をかけるのが怖くて、手が震えてきたのですが、思い切ってかけてみたら結構うまくいきました。結局150人くらいの人に電話をかけることになりました。これは自信になりました。


あとは、自分の職場主催で行われたカンファレンスの筆記をやってくれといわれた時も、二つ返事でYesといいました。約1日半、ひたすら耳をすましてノートパソコンを打ってました。はっきりいって何を言っているのかさっぱりわからなくって途中でかなり絶望的な気持ちに教われましたが、でも落ち着けば結構わかってきて、何とか乗り切りることができました。これも自信になりました。


内容は変われど、このような自分の臆病心を試すようなことは今でも日常茶飯事なわけですが、ここにきて思うのは、「何とか乗り切る」ということが非常に大事なんだということです。どのような形であれ、乗り切れば、それは自分の実績として残り、それは自信になっていくわけです。またできることだけをしていたら自分の成長はなくて、できないことに挑戦するから自分が成長するんだと心から思います。


しかし一方、できないことに挑戦して、途中で挫折する、というのは意味はありません。

結果を達成するのと、達成できないのとでは、10と0くらいの違いがあります。

円を描く時、最初の点と最後の点が結びつかなければ、99%まで描こうとも、それが決して円にはならないように、やり遂げる、ということは大事だと思います。そしてそれは乗り切れば、不恰好であってもそれは円になるわけです。どんなに不恰好な円だとして立派な円であり、それは完結していないうねった線より断然綺麗です。そしてさらに自分が苦労して描いた円は、自分の無形の財産として残っていきます。まだまだ若いので偉そうなことはいえませんが、人生とはどれだけ多くの円を苦労しながら描いていけるか、でその価値が決まるように思います。


今こうしてアメリカで仕事をしています。

実際働いてみると、昔自分の中で勝手に思い描いていたほどそこまで大それたものでもなく、職場がただ全て英語である、ということくらいしか特別なことはありません(それも日本から見ればということですが・・・)。


人間一つの目標を達成すると、そこに安住してしまう人がいます。

その目標自体たいした事ないのに、自分は大したものだと思ってしまうんですね。

自分はそうでありたくない、と思います。

常に上を見続けていきたいと思うわけです。


たまには振り返ることも必要かなと思い、いつもとは違ったことを書きました。

なんか青二才っぽいことを書いてますが、実際そうなので、その辺はご容赦お願いします。


実は先週、ユタ州のソルトレイクシティに約1週間行っていました。

前々回の冬季オリンピックが行われた場所ですね。

ロッキー山脈の山々が目の前にでっかくそびえていたのが印象的です。


今回は仕事というか、Association for Institutional Research (AIR) というInstitutional Researcher のネットワーキング団体主催のワークショップがありまして、僕は、SQLとPHP、ASP.NET、そしてData Warehouseに関するワークショップを受講しました。かなり内容の濃い、充実したワークショップでした。


最近は、IT出身のInstitutional Researcherが増えてきたように思います。Digital Divide という言葉がありますが、Instittutional Researcherの中でもこのDigital Divide 現象が始まってきているような感覚を受けました。今まではリサーチすることさえできればよかったのですが、最近はそれだけはもはや競争力はつかない時代に入り、リサーチ力プラスSQLといったデータベース言語に関する知識やWebに関する知識などが求められる時代に入ったことを強く感じました。


ところで、今回のワークショップが行われた、University of Utahですが、なんとこの大学、大学でホテルを経営しているんですね。僕のワークショップはそのホテルで行われました。主にカンファレンスを大学で主催するときなどにこのホテルは使われたようですが、結婚式場にも使われたり、大学病院に来る患者、そして一般客も泊まれるようです。ソルトレイクシティは観光でくる人も多いようなので、いいアイデアかもしれませんね。日本でも、そういうのはあるのでしょうか?例えば地方の研究型大学とか、もし学会を頻繁に行うような大学があるようであれば、一考する価値はあるかもしれません。


ユタ大学ゲストハウス: http://www.guesthouse.utah.edu/


そしてもう一つ印象に残ったことは、オリンピックのために作られた選手村をそのまま大学の寮として使用していることでした。ソルトレイクシティオリンピックの際、選手村が大学構内につくられ、今もロッジのような少し大きめの家が沢山あるのですが、オリンピックの後もそれをそのまま特定の学生を対象として学生寮として使っているということです。その大学に通っていた学生の話によれば外見ほど中身はたいしたことない、なんてことを言っていましたが・・・。


それにしてもユタ大学は非常に綺麗な大学でした。山の中腹にキャンパスがあり、20-30分くらい歩けばでソルトレイクシティが一望できる山の頂上まで簡単にいけます。モルモン教の本拠地としても有名な場所で、日曜日はほとんど店が閉まっていますが、もし自然が豊かな場所に留学したいなんていう人がいれば、ユタ大学はおすすめかもしれません。


いつも読ませていただいているブログの一つに、「俺の職場は大学キャンパス」があります。何があろうと毎日欠かさずブログを更新されていて、更新があまりできていない自分としてはただただ脱帽するばかりです。


ところで、このブログでこのようなことが紹介されていました。


http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50227532.html


注目していただきたいのが、一番最初の産経新聞の記事を紹介されている部分なのですが、この産経新聞の記事によれば、私立大学が1)財産目録、貸借対照表、収支計算書、事業報告書などの財務状況、そして(2)学部別在籍学生数を公表すれば、その大学に対して政府からの助成金が増額される、ということが決められた、ということです。


誰がどのような理由でこのような決定をを下したのでしょうか。

まず私立大学が公的資金を投入されていること自体がありえない話だと思うのですが、かつ情報を公開すれば更に上乗せ・・・、しかもこんな単純なデータだけで・・・、よく意味がわかりません。

著者のマイスターさんもブログで書かれていましたが、「1円でも補助金を受け取るなら、開示を義務づける」でよろしいかと僕は思います。


詳しい内部事情はこちらからではわかりづらい部分もあるので、これ以上の追求はやめておきますが、それではアメリカではどうなのかというと、連邦政府ではまさに「補助金=情報公開」の関係になっています。


連邦政府は、例外を除いて、日本のように大学(私立公立問わず)に大学運営のための助成金は拠出していませんが、そのかわり莫大な額の奨学金を学生に対して支給しています。学生が連邦政府からの奨学金の対象者となるためには、学生の所属する大学が連邦政府の定める条件を満たしていなければならず、その条件の一つが情報公開にあたります。かつては大学が情報公開不履行の場合、これといった制裁は行われなかったのですが、1992年より、現在の制裁のルールが議会によって定められました。


政府に提出されたデータ(1980年以降)はインターネットで全て見れるようになっています。


http://nces.ed.gov/ipeds/  (通称:IPEDS)


情報公開は当然のことながら、政府の奨学金プログラムに参加している全ての大学(業界用語でTitle IVInstitutions と呼ばれます)に義務づけられ、大学は年3回にわけて、以下の情報の提出を義務付けられています。


Institutional Characteristics (大学に関する基礎的な情報、連絡先、学長の名前、といったようなもの)

Enrollment (学生数に関するデータ)

Finance (大学の収支状況に関するデータ)

Completion/Graduation Rates (卒業率に関するデータ)

Student Financial Aid (奨学金に関するデータ)

Fall Staff (教授、職員に関するデータ、平均給料など)

Employees by Assigned Position (特定の役職に関するデータ)

Salary Survey(教授の給料に関するデータ)


(詳しくはこちらを参照。2004年度に行われたSurveyが見れます。)

http://nces.ed.gov/ipeds/survey2004.asp


自分もコミュニティカレッジで働いていた時、IPEDSのデータ提出を担当しました。かなり面倒だったことを覚えていますが、義務だったので、しょうがなかったですね。


ちなみにこれらの義務を果たせなかった場合、大学には最悪の場合以下のような制裁が加えられます。


1.違反項目1つにつき最大$27,500(約300万円)の罰金

2.政府の支援停止


http://a257.g.akamaitech.net/7/257/2422/08aug20031600/edocket.access.gpo.gov/cfr_2003/julqtr/pdf/34cfr668.84.pdf


もっとも、90年代は政府の監視もそこまで行き届いていなかったようですが、2000年以降、その監視を強めるようになりました。


http://chronicle.com/weekly/v50/i03/03a02101.htm#ipeds


というわけで、最初の日本の話題に戻るのですが、学生数と収支状況をホームページなどで一般公開しているかどうかという主観的な調査で情報公開度を決めるのではなく、全ての大学が必要とされるデータを文部科学省に提出するように義務付けるということ、そして文科省はそれをわかりやすい形でインターネット上で公開すること、この二つを国会議員に働きかけて法律化してしまったほうが本来の情報公開の目的を達成する上で近道のように思います。


また大学の自発的な情報のみだと、マイスターさんもブログで指摘されているように、大学間のデータの比較が出来ない、という問題もあります。情報は過去との比較、大学間との比較が可能になってこそ意味を持つわけで、比較の出来ない情報は役に立ちません。


これは素朴な疑問なのですが、何百もある大学が、学生数、収支などをインターネットなどで公開する際、それらのデータの算出方法は同じフォーマットや定義に基づいているのでしょうか?もしそうでなければ、政府がしっかりとした情報公開に関するフォーマットをつくり、大学間で公平に比較できるようにしなければ、情報公開の意味はないと思います。


個人的見解として、情報公開は大学の責任ではなく、政府の責任だと思います。情報公開は一つ一つの大学にとって最重要課題でないということは明らかであり、大学の自主性に任せていてはいつまでたっても本来あるべき情報公開は達成できないと思います。また情報を自分だけにとどめておきたいというのは当然の感情であり、アメリカにおいても、政府のリーダーシップがなければ現在の情報公開システムはなかったと思います。未だに私立大学などは、公立に比べて、情報公開に対しては積極的ではありません。


情報は公開すればするほど善である、ということは正しくありません。情報の氾濫した時代、大事なのは、必要な情報を抽出することであり、そしてその必要な情報は、大学レベルで考えられるものでもなく、全体感にたった見方を必要とします。それができるのは政府しかないと自分は考えます。やはり、政府が明確な情報公開に関するビジョンを描き、その情報がどのように利用されるかまで対策を立て、大学を引っ張っていく、その中で理想的な情報公開ができるようになると思います。



ただ、日本の大学の問題は、そのような数値化できる部分だけの話ではなく、例えば教育の質や、大学の組織的弊害といった質の問題も大いにあります。個人的意見としては、この質の比較をどのように行っていくかが日本の大学界にとって一番必要なことだと思います。


もっともこの質の問題はどこの国でも抱えている問題であり、特に教育の質の比較をどのように行うかは、アメリカでも試行錯誤の段階にあります。日本もアメリカや他の国の後をただ追うのではなく、わざわざアメリカが日本まで学びにくるような情報公開のシステムを作って欲しいですね。

先日のブログで、現在教育省の大臣、Margaret Spellings がCommission on the Future of Higher Educationという委員会を作って、将来の高等教育のあるべき姿について研究をさせている、という話をしましたが、先日その 2nd Draftが発表されました。


http://www.insidehighered.com/news/2006/07/18/commission


確かに両方のリポートの方を見比べてみると、文体が随分違うだけでなく、若干提言の内容も違ってきていることに気がつきます。というわけで、ちょっと今日はそのレポートの検証並びに解説を、自分の出来る範囲で、してみようかと思います。


リポートはこちら


1st Draft

2nd Draft


1st Draft、2nd Draftともに、全部で6分野における提案がされていますが、その提案の内容が前回と少し変わっています。まず、2nd Draftの最初の提案は、Accountabilityに関してですが、以下のような内容になっています。


1. To meet the challenges of the 21st century, higher education must change from a system based on reputation to one based on performance. We recommend the creation of a robust culture of accountability and transparency throughout higher education. Every one of our other goals, from improving access and affordability to enhancing quality and innovation, will be more easily achieved if higher education embraces and implements serious accountability measures.


(意訳:21世紀に高等教育が迎えるであろう様々な挑戦に対して、高等教育はそのシステムを名声・評判重視のシステムから実績重視のシステムへと変化しなければならない。我々の最初の提案は、高等教育全体が、わかりやすくかつ透明性のある評価システムの文化を作り上げていかなければならない、ということである。そのような(今までと比べて)より厳しい評価方法を用いることによって、我々が現在めざしている目標、例えば大学へより多くの学生が通えるようにすることとか、(恒常的に)大学へ通うためにかかる経費を支払い可能なレベルにするといったことから、教育の質を高め、研究開発を促進するといったようなことまで、これらの目標はより簡単に達成されるであろう。)


訳す際に、かなり自分の解釈を入れましたが、日本語に訳すとこのようになると思います。日本語であったとしてもなんのこっちゃ、と思われるかもしれませんが、要するにここで何が言いたいのかというと、


「名声重視ではなく、実績重視の評価システムの文化を構築することが今後のアメリカの大学の発展の鍵である」


ということだと思います。この提案は前回の1st Draftでは一番最後に回されていたのですが、今回の2nd Draftでは一番最初にもってきています。


ここで大事なのが、「文化」という言葉だと思います。大学や認証機関だけに評価を任せるのではなく、文化レベルにおいて評価システムの確立、つまり国民全体が関われ、そして様々な角度から実績の評価が出来る体制つくりをめざす、という見方が正しいと思います。この評価、いわゆるAccountabilityについての論議は、ずっと長い間行われてきました。日本では最近、大学と認証機関におけるAccountabilityが始まりましたが、アメリカにおいてはそれらの一部の団体だけではもう信頼できない、という論調が主流になっています。


そしてSpelling Commissionはこの21世紀型Accountability Systemともいうべき、新たな評価システムの確立における具体的な案として3つの提言を行っています。まず一つ目が、


A.Create a consumer-friendly information database on higher education with useful, reliable information on institutions, coupled with a search engine to enable students, parents, policymakers and others to weight and rank comparative institutional performance


(訳:学生や親、政策立案者やその他多くの人にとって使いやすい、サーチエンジン機能などを用いて、大学の実績をランク付けして比較できるような、そしてかつ彼らに役に立って信頼性のおける情報満載の大学のデータベースを作るべきである。)


要するに大学に情報がつまったデータベースをつくれということですが、このデータベースのポイントは、



1.大学の実績をランク付けできる


2.使いやすいデータベース


3.誰にでも情報が簡単に理解できる



になります。この3つのポイントに関して、Spelling Commissionは、3つの団体を意識しているようです。一つは、 US News といったようなランキング雑誌であり、もう一つは教育省の傘下にある

National Center for Education Statistics(NCES)、そして、最後は非営利団体のNational Center for Public Policy and Higher Educationです。


まず、最初の大学の実績をランキング付けできる、ということに関してですが、現在このランキング分野で一番用いられているのが、周知のごとく、US Newsになります。しかし、US Newsのランキングはいわゆる評判重視の評価システムであり、このランキングは偏っているというのが昔からの批判の大きな理由の一つでした。


個人的にはUS Newsは当たらずも遠からずだからそこまで悪くはないと思うのですが、ただランキングの手法がそこまで実績に重きを置いているわけではないというのはその通りであり、どちらかというとインプット、例えば、教授と学生の比率、入ってくる学生の質、といったようなもの、つまり教育環境といった方に重きが置かれているわけです。


一方、実績、つまりアウトプットの方も多少はランキングに考慮されていますが(例えば、卒業率や、卒業生の寄付金率)、それはまだまだ表面的である、という見方が大半であり、学生が何を学び、どこまで力をつけたのか、などといった質の部分を考慮したランキングが必要である、ということが今よく聞かれます。Spelling Commissionは、それを教育省が主導で行っていくべきだと主張しています。


そして2番目の使いやすいデータベースに関してですが、これはNCESを意識した発言だと思います。NCES (http://nces.ed.gov/ )、ここは教育関係のデータを集め分析し、リポートを発表するというのがその役割なのですが、実は彼らは何もしていないわけではなく、様々な取り組みをしてきました。


例えば最近NCESが作ったデータベースで、College Opportunities On-Line (通称:Cool)というものがります。ここでは全米7000の大学のプロフィールが載っていて、個人的には政府が作ったものとしては、かなり使いやすく出来ている部類に属すと思うのですが、ここではPerformanceといったような実績部分までは当然踏み込むことは出来ず、大学の簡単な情報が紹介されているのみにとどまっています。Spelling Commissionは、このデータベースをさらに発展させたものをイメージしているのだと思います。


http://nces.ed.gov/ipeds/cool/


そして最後の団体、 National Center for Public Policy and Higher Educationですが、これは情報のわかりやすさという点で重要な役割を果たしてきました。


このNational Center という非営利団体は、2年に一回、各州の高等教育にA-F段階で成績をつけるという斬新な手法をもちいたことで有名で、彼らのリポート、「Measuring Up」 (http://measuringup.highereducation.org/survey.cfm )は、そのわかりやすさから、多くの政策論議の場で利用されてきました。


Spelling Commission は、Measuring Upのようにわかりやすい評価を、州レベルではなく大学レベルで行う非営利団体を支援すべきだと、このレポートでは提案しています。


さて、このデータベース創設に関するアイデア、それ自体は素晴らしいと思いますが、実際そんなのどうやってつくるのか、というのが率直な疑問です。Spelling Commissionは教育省にデータを集めさせる、といっていますが、はたしてこれがどのような形で実現するのか、7000もある大学をどうやって序列化するのか、実績を評価するためにどの様なデータを使うのか、まだまだ見えない部分は多いです。



それでは、次にAccountabilityに関する提言その2に移ります。



B.Increase publicly available information on the quality and cost of higher education


訳:大学の質と費用に関する情報公開度を高めるべきである

この費用と質、というのは実はアメリカ高等教育において一番皆が知りたがっている分野でありながら、実は一番その真実がわからない分野にあたります。


まず費用に関してですが、例えば、いつかのブログで学費が上昇しているという話をしましたが、それはいわゆる外向きの価格のみであって、奨学金などを差し引いた本来の価格は大学関係者意外は誰もわかりません。一般世間では、学費の上昇が声高に叫ばれていますが、政府からすれば、じゃあ実際価格でどれだけコストが上がってきているのか、学費だけでなく、教授の給料や人件費はどれくらい上がってきているのか、こういった情報は、財政政策を立案する上で非常に重要になっているのですが、実はこれらの問いに答えられる人は今現在存在していないわけです。


その問いに答えられるシステムを作ることが大事である、とSpelling Commissionはいうわけです。そのシステムがすなわち、Student Unit Record (前回のブログ参照)になります。SURによって、一人一人の学費、そして奨学金やローンなど、費用に関するデータを全て網羅できるようになり、正確な費用の情報がわかるようになる、ということがSpelling Commissionの目指す先にあります。


一方、質に関する話ですが、ここでは批判の矛先が明確に第3者認証機関に向けられています。現在の評価手法は、インプットとプロセス重視、言い換えれば、組織運営の方に意識がむけられていて、卒業率や学生が何を学んだかといったような実績は評価する際そこまで考慮に入っていない、ということを指摘しています。また、大学間での比較を可能にしたり、大学レベルではなく学部レベルでの比較、また一般公開度を高めるべきだ、なんてことを提唱しています。



正直、Accreditationに関しては自分はあまり知識を持ち合わせていないので、これに関してのコメントは避けさせていただきますが、Accreditation システム自体が政府の要請に応えていないということは、最近よく聞く話でした。


ともあれ、ここでのポイントはやはりStudent Unit Record(以下SUR)だと思います。SURの最大の目的は、まさにこのコストに関する情報を集めることにあります。僕自身も、上がり続けるコストをかんがみた時、SURの創設は絶対に必要であると思います。



それではAccountabilityに関する最後の具体的提案にうつりますが、


C.Encourage higher education institutions to measure and report meaningful student learning outcomes


訳:大学に学生の学習習得度を測定できるようなシステムをつくることを訴えていく


学生の習得度は、まさに実績を基にした評価システムを構築していく上で重要なキーワードであり、いかにこの習得度を測定できるかが今盛んに議論されています。


しかし学生の習得度を測定するということは、本当に可能なのか?しかも大学レベルで?正直僕としてはわかりません。一つの方法として、学力テストみたいなAssessmentを行うことが一つの提案としてなされていますが、それでは何をもってこの学生は大学で学んだといえるのか?大学で学ぶということはかなり主観的な部分だと思うのですが、それをいかに客観的に測定するのか、今後の展開に注目です。



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さて、最初の提案だけで、ここまでかなり長くなってしまいましたが、このAccountabilityならびに評価に関する提案の根底に流れているのは、大学教育に対する社会の不信感になります。やはりアメリカであっても企業などから、大学で学生は本当に学んでいるのか、という声がよく聞かれるわけで、それが学生の習得度を測れ、という意見がでる大きな一つの理由なわけです。どこの国も抱えている問題は一緒だということですね。



また、上昇し続ける学費がさらに費用対効果に対する疑問を増幅させています。そこまで高い額を支払っているからには、質は保証してくれるんだろうな、という論理ですね。その質の保証を客観的に証明できないのが、現在のアメリカのAccountabilityシステムの弱点であるわけです。実際そのようなAccountabilityシステムをつくることが可能なのか、私にはわかりませんが・・・。


ところで実はこの提案、特に目新しいものではありません。このリポートで報告されているようなことは、何年も前から多くの人が主張しきていることだし、今まで言われてきたことをただ簡単にまとめたようなものだと僕は思います。問題はこれをいかに、誰が実現するかであり、その世論つくりがこのSpelling Commissionの役割だと僕は思っています。正直、このAccountabilityにおける改革はちょっと現実的ではないように思います。しかいこの提言が実現されたら、確かにアメリカの高等教育界、特に教育政策の発展は一気に進むだろう、とは思います。


最初の提案だけでこんなに長くなるとは思ってもいませんでした・・・。あと5つ提案が残っているのですが、どうしようかな・・・とまよってます。

いつか前に、連邦政府が、全ての大学生の個人情報を網羅したデータベースを作ろうとしている(これを業界用語で Student Unit Record (SUR) System といいます)、という話をしたことがあるかもしれませんが、今日はその続きの話をしようと思います。


結論から言うと、この提案は議会の承認を得ることが出来ませんでした。それどころか、議会は連邦政府がSURを作ることを明確に禁止する法案を承認してしまいました。


http://edworkforce.house.gov/issues/109th/education/hea/hr609billsummary.htm  (下部にAdditional Featuresというセクションがあり、その最初 “Protect students’ rights and personal privacy” のことを指しています)


今回のこのSURに関する条項は、Higher Education Actという1965年に出来た高等教育に関する法案の見直し作業の一環としてでてきました。次のHEAの見直し作業が行われるのは6年後なので、それまではSURの設置は不可能になります。


このSURの創設は、教育省(Department of Education)が推進してきたものでした。2005年3月に、教育省がいわゆるFeasibility Studyというリポートを発表し、その中で連邦政府がSURをどうすれば作れるのかという、かなり具体的な計画にまで踏み込んだ提案を発表しました。Table1で、そのデータベースの内容が明らかにされています。


http://nces.ed.gov/pubsearch/pubsinfo.asp?pubid=2005160


ともあれ、見事に議会につぶされた今回のSUR法案ですが、さすがに教育省も6年も手をこまねいて待っているわけでもありません。教育省の大臣Spellingは、昨年9月特別委員会(通称:Spelling Commission)を創設し、彼らにアメリカの高等教育の今後のグランドデザインとその方途を描くよう指示しました。このSpelling Commission は、先月末に中間報告を発表しましたが、このリポートの中には、SURの創設の必要性を訴えている項目があります。このことは、SUR創設を今回の議会で法律上禁止してしまったにも関わらず、教育省がそれをあきらめていないことを意味しています。


The Secretary of Education's Commission on the Future of Higher Education

http://www.ed.gov/news/pressreleases/2005/09/09192005.html


中間報告の詳しい内容などはこちらを参照(http://www.insidehighered.com/news/2006/06/27/commission


当然のことながら、この項目はすでに多くの論議を、特に私立大学関係者の間で巻き起こしていて、先週、全米私立大学協会(National Association of Independent Colleges and Universities)が、これに反論するリポートを発表しました。(詳しいやりとりはこちら http://insidehighered.com/news/2006/07/07/unitrecord  )


ちなみにこのSUR,何が一番の問題なのかというと、プライバシーの問題になるわけです。アメリカは、Social Security Number(SSN)といって、ほとんど全ての国民が自分のID番号を持っています。アメリカにて生きるうえで、このSSNは必要不可欠であり、逆に言えば様々な情報がSSNを通してわかってしまう、なんてこともありえます。


今回提案されたSURはこのSSNを データベースのKey IDとして使うと明言しており、これがセキュリティの問題と大いに関わるということが、反対する人の一番の理由です。当然といえば当然の論理かもしれません。


しかし、州政府に目を向けてみれば、データベースの規模は州によって異なりますが、現時点で実は40州の政府がSURを持っています。もっともPublicの大学生のみ、というケースがほとんどですが。しかし、70年代からSURを持っている州もあり、プライバシーの問題はこれらの州ではそこまで問題にならなかったようです。


というわけで、今後連邦政府レベルのSURの議論がどのように発展していくか今の時点ではなんともいえません。ただ、一つのアイデアとして出ているのは、わざわざ新しいSURを作るのではなく、各州に現存しているSURを使おうじゃないか、というアイデアが注目を集めています。この各州のSURをリンクさせて、それで国レベルにまで持っていって、既成事実のようにしてしまえばいいじゃないか、というのがこのアイデアを支持する人たちの意見です。


もっとも物事はそこまで簡単に進むものでもなさそうです。現在、実はほとんどの州が、州内のデータベースを州外に持ち出したり、州外のデータベースとリンクさせることを法律で禁止しています。この元になっている法律がFamily Educational Rights and Privacy Act (FERPA) (参照:http://www.ed.gov/policy/gen/guid/fpco/ferpa/index.htmlという法律です。州ごとによってこの法の解釈が異なりますが、多くの州はデータを州外に公開することを禁止しています。このFERPAが理由でSURをもてない州もあるくらいです。


しかしそれでも、個人的には、州同士が連携して既成事実を作り上げていくというというほうが現実的なように思います。多くの州政府は、法律で禁止されているとはいえ、SURのリンクを望んでいます。州の連合した国として発展してきたアメリカで、州への帰属意識がとても強いことには変わらないかもしれませんが、州を飛び越えた国内間の移動が活発化している今現在、各州が連携していくことは今後避けられない時代の流れでしょう。


国レベルでSURができるのは時間の問題のような気がします。












相当久しぶりの更新になってしまいましたー。


アメリカにいると、特に内陸部に住むと日本の本が手に入らなくて困ります。

そういうわけで日本の本とか最近ほとんど読まなくなってきているのですが、この前、僕の友達が日本に帰ったついでに、話題の(もう今はそうでもないんですかね?)「Web進化論」を買ってきてくれました。


今更僕が感想を述べるまでもないのですが、この本は非常に刺激的ですね。

日本の企業は未だにWeb1.0の世界での話で、アメリカのIT企業は2.0の段階に入っている、という分析は、実感の部分でなるほどなーと妙に納得してしまいました。


ところで、様々考えさせられるこの本でしたが、個人的に一番印象に残った部分は、MITの全部の授業の一般公開プロジェクトに関する記述でした。オープンソースの失敗例として、著者はMITのこのプロジェクトが大学の官僚的な組織やその他の抵抗勢力によって停滞してしまっているということを述べているのですが、ここに僕は大学の限界を見た思いがしました。やはりMITであっても、大学は企業(例えば本で紹介されているGoogle)のようにダイナミックな行動はとれないんだなー、と改めて思ったわけです。


もっとも大学は企業ではありません。根本的に利益を追求する組織ではないし、組織ももっと複雑で、行動原理も当然民間企業とは変わってきます。Googleのようにフットワークを軽くすることは不可能です。またそれであるが故に企業とは当然社会に置ける役割も変わっていなければいけないと思います。その役割とは何なのだろうか、そんなことを考えさせられたこの本でした。


先週の日曜から、水曜にかけて、ワシントンDCに出かけてきました。


うちの職場主催のカンファレンスがあり、全米から150人ほど、州政府で、高等教育分析に携わっている人たちが集まりました。名前は知っていたけど見たことない、という人たちばかりだったので、多くの人と知り合いになれたのが良かったです。


様々な高等教育政策に関するセッションがあり、おなかいっぱい、という感じなのですが、その中でも一番自分にとって興味深かったのが、Enrollment Projection、つまり、今後の学生数を予測する、ということをテーマにしたセッションでした。


Enrollment Projectionは、政府や大学が中長期的な目標を設定する上で重要な役割を果たします。学生は今後増えるのか減るのか、とくにどのような学生層に影響が出るのか、これを100%予測するのは不可能ですが、全く知らないよりはましなわけです。


例えば一つの例が、アリゾナ州。学生数は2020年までに激増すると予測されています。(細かい数字は忘れましたが)。これは何を意味するのかというと、Capacityの問題になります。


Capacityとは、言葉の通り収容人数、ということです。アリゾナの場合、この現在のCapacityが果たしてこの学生数の増加に対応できるのか、必要ならばキャンパスを一つ増やさなければならない、教授数も増やさなければいけない、そういう話になるわけです。アリゾナではキャンパスを増やす計画は今のところはないようですが、その決定もこのEnrollment Projectionによって大きく影響されています。要するに、このProjectionが正しいならば、今のCapacityで大丈夫だろう、ということです。


ともあれ、3つの州、テキサス、メリーランド、アリゾナ州でそれぞれどのようなMethodologyを使っているのかということを学ぶことが出来て、非常に興味深かったです。特に面白いなと思ったのが、メリーランド州のProjectionで、この州では学生数を予測するのではなく、学生の履修単位総数を予測するわけです。確かに、この方がより正確な計画を立てることが出来るようになると思います。


ところで、このEnrollment Projectionというのは非常にPolicy Makerのうけがいいんです。理由は単純で、「わかりやすい」から。一目でわかるものをPolicy Makerは好むわけです。


わかりやすさ、ということは、Policy Analystが心しなければならないことだと思います。これは大学レベルでもそうだし、州でも、国レベルでも同じです。ようするに何が言いたいのか、ということを明確にしなければ、その分Decision Makingが遅れるし、悪影響を与えます。


これは自分もいつも気をつけていることなのですが、これってなかなか簡単そうに見えて難しいんです。データを読み込むだけでなく、Policy Makerと同じ全体観にたたなければいけないわけで、これはそれなりの経験を要求します。この情報がどのような影響を与えるのか、その先が見えなければ、Policy Analystの存在意義はなきに等しいんですね。

アメリカの大学と日本の大学の組織形態って全然違う、とよくいいますが、多分そうだと思います。というわけで今日はそれに関する話をしようと思います。


アメリカの大学で一番偉いのは、学長(president)ではありません。理事会になります。英語ではBoard of Trustees とかBoard of Regentsとかといいます。通常、大学は理事会が所有するもの、と位置づけられています。


彼らの仕事、それは、学長の任命と監視、になります。要するに大学の運営を学長に委任するわけです。そして彼らは定期的に集まり(大体月1-2回)、学長はその会合で大学状況を報告する、という仕組みになっています。また、大学レベルの政策決定を行います。例えば学費を上げるなんていう決定は、学長が理事会で報告し、この定期的に行われる理事会で最終決定されます。


理事役員は、大学の理事が本職ではありません。かれらは他に仕事をもっていて、そのかたわら、理事会に参加する、というわけです。そんなわけで、彼らは大学業務には一切関わりません。そんなわけで給料もただになります。大学によっては、学生の代表を必ず一人理事に任命しなければならない、という大学もあります(例外もあるかもしれませんが。あくまでも一般的、ということで理解して下さい)。ミネソタ大学なんてそうでした。


そして次に偉いのが学長で、彼がAdministrationを構築します。いわゆる大学行政担当ということで、内閣総理大臣みたいなものです。国会が総理大臣に行政を委任し、総理大臣が内閣を組閣するというシステムと似ています。


そして学長は複数の副学長(Vice President)を任命します。副学長の役割はそれぞれの責任が明確になっています。よくある副学長のポストとして、


Vice President for Finance (財政担当)

Vice President for Student Affairs (学生のサポート・サービス担当)

Vice President for Academic Affair (教学部門担当)

Vice President for Human Resources (人事担当)

Vice President for Information Technology (IT担当)


それにプラス、顧問弁護士(General Counsil)などが加わり、Administrationのコアを形成します。このコアのAdministrationをCabinetと呼んだりもします。


以上なら、普通の会社のような組織なのですが、大学には当然ここに教授という団体が加わります。特に影響力を持つのは、教授会(Faculty Senate、Faculty Council)です。大学による教授会の位置づけは様々ですが、大体、理事会に議案を持っていく前に、教授会で承認される必要がある、というのが一般的です。また大学によっては、教授会と学生自治会で構成されたUniversity Senateで承認されなければならない、というところもあります。ここが学長をはじめとするAdministratorたちの一番苦労するところです。


以上が大学の中枢の話ですが、アメリカの大学というのは、大きい大学ではそこからCollege(もしくはSchool)、そしてDepartmentという組織に細分化されていきます。このCollegeを束ねるのがDeanで、Deanが教授たちの直接の上司になります。このDeanのもとにいるのが、Assistant Deanたちであり、先ほど述べた学長と副学長のような関係を構築します。


・・・なんか永遠に終わらなさそうなのでこの辺にしておきます。