かっぽうぎの帽子をなくして3時間泣いた思い出 | マリアンヌのブログ

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言葉は極力選んでおりますが、人によっては私のブログを見て不快に感じられることもあるかもしれません。
でも私は方針を変えるつもりは1ミリもありません。私の思うように、私の好きなように、このブログを書き続けていきます。

こんばんは。

 

私の人生を振り返りながら、昔の思い出をブログに書き残しています。

 

今回は私が小学校3年生だった当時、給食当番の児童に用意されている割烹着(かっぽうぎ)の帽子を誤って紛失してしまい、自宅で3時間泣いたときのお話をしたいと思います。

その思い出話と同時に、”子供が見ている世界”というものに関しての私の意見も書いていこうかなとも思っています。

 

 

 

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小学校で給食があるのは皆さんご存じだと思います。

日本では給食の配膳は児童が行い、その配膳係は交代制によって行われるのが一般的となっています。

 

私が通っていた小学校では、クラスの席順ごとに6人で1つの班(グループ)が作られ、1週間ごとに各班が給食当番を担当する決まりとなっておりました。

 

当時、私のクラスは42人の児童がいましたので7つの班が存在しました。

給食当番になった児童は4時間目の授業が終わると同時に学校の給食搬入口まで行き、そこでご飯やみそ汁、おかずなどが入った容器を教室まで自分達で運んでいきます。

 

上級生はともかく、1年生は腕力も体力もまだまだ未発達なため、重い容器を運ぶのは一苦労だったでしょうねにっこり汗(それとも1年生の場合は教員の方々が教室まで運んでくれたのかな?そのあたりの記憶は曖昧となっています汗

 

教室まで給食を運び入れたら、今度は配膳作業をします。

他の児童が列を作っておぼんと食器を手にし、その食器に給食当番の児童が配膳をしていきます。トングで鶏肉のマリネを渡したり、みそ汁を注いだり、ご飯をよそったりなど。

給食の時間が終わると、食器や空の容器を給食搬入口まで運び、そこでその日の給食当番の仕事は終わりとなります。

 

給食当番の児童には、学校から割烹着(かっぽうぎ)が支給されます。

といってもそれほど本格的なものではなく、軽く上半身を包む衣服に、白い帽子の2点のみとなっていました。

 

月~金曜日までの給食当番を終えた児童は、土曜日にその割烹着を自宅まで持ち帰って洗濯をしたのち、月曜日に学校へ返却する流れとなっていました。

返却された割烹着は、その日のうちに新しい給食当番の児童へと渡されます。

 

 

 

ところがですねぇ…

 

 

 

小学校3年生の頃に、私はその割烹着の帽子を紛失してしまったことがあったんですよねぇ…滝汗あせるあせるあせる

 

割烹着一式は給食当番用の小袋に入れることになっていたのですが、どうやら私はその小袋の口のヒモをきちんと結んでおかなかったらしく、下校の最中に帽子だけが小袋からこぼれてどこかにいってしまったようなんですネガティブ

 

気がついた時点ではまだ外が明るかったので、必死に登下校ルートの道を探したりしましたが、帽子を発見することはできず…

おそらく風に飛ばされて、はるか彼方まで飛んでいってしまったものだと思われますガーン

 

帽子が戻らないと知ったときの当時の私は、絶望に打ちひしがれました。

 

 

 

学校の備品をなくしてしまった…

 

担任の先生に叱られる…

 

次の給食当番の子に帽子を渡すことができない…

 

その子から責められるかもしれない…

 

クラス中から白い目で見られるかもしれない…

 

もう学校に俺の居場所なんて無いのかしれない…赤ちゃん泣きガーン

 

 

 

大人から見たら帽子のひとつを紛失したことぐらい、なんてことのない些細な事柄なのだと思います。

しかし、9歳の子供にとって”自分の物ではない、みんなの物を自分ひとりのミスでなくしてしまった”というのは、大人が思う以上に深刻で絶望的な状況に思えてしまうんですよね。

 

 

外が暗くなる18時頃まで探しまわり、その後、絶望に叩き落とされた状態で帰宅。

私は割烹着の上着だけが入った小袋を母に渡すことができませんでした。

夕食を食べることもなく、自分の部屋のベッドの上で約3時間泣きました。

両親は心配して私の部屋のドアを叩くも、私はドアの鍵を閉めたまま毛布にくるまっていました真顔

 

21時を過ぎたあたりで、父が深刻そうな声で「本当に何があったんだ?大丈夫だから話してみなさい」と言ってきたので、そこでようやく私は部屋から出て、事の状況を両親に打ち明けました。

 

事情を知った両親は「なんだ、そんなことか~!ニコニコ」と安堵した様子でした。

 

母が「帽子ぐらい大丈夫。わざとなくしたわけじゃないし、先生だってわかってくれるはずだから」と言い、同時に「お母さんから連絡帳に事情を書いておくから。あんたは学校に行ったらそれを先生に見せて、謝ること。いい?」とアドバイスをしてくれました。

それを聞いて私の気持ちは少しだけ穏やかになったものの、不安が完全になくなったわけではありませんでした。

 

 

月曜日の朝、担任の先生に連絡帳を見せ、「すみませんでした」と頭を下げて謝りました。

このときの私の心臓はもう爆発寸前でした驚き

 

これから説教が始まるのだろうか…

クラスの子達にはどう説明したらいいのか…

 

いろんな不安が頭のなかをグルグルとまわっていきました。

 

連絡帳を見た担任の先生(仲間由紀恵さん似の当時30歳ぐらいの女性教師)は、「事情はわかりました。なくしてしまった原因はわかっているの?ニコニコ」と穏やかな口調で私にたずねました。

私は下校中に紛失したことを話し、そのまま担任の先生と一緒に保健室へと行きました。

 

(なぜ保健室?)と思いましたが、どうやら全クラスの割烹着を管理しているのは養護の先生だということがわかりました。

 

基本的に割烹着は当番だった児童が自宅で洗濯後、月曜日の朝に返却するわけですが、当然ながらそのまま次の給食当番の子に渡されるわけではありませんでした。

いったん養護の先生が回収して、”衣服の損傷が無いか””十分に洗濯ができているか”を確認し、それをクリアしてはじめて次の給食当番の子に渡される仕組みとなっていました。

考えてみれば当たり前のことですね凝視汗

 

担任の先生が養護の先生に事情を説明してくれました。

そして、あらためて養護の先生にも謝罪をした上で、私の口からも紛失した原因を話しました。

 

養護の先生(元女子バレーボール日本代表・竹下佳江さん似の当時40歳ぐらいの女性の先生)は、「わかりました。次からはなくさないように気をつけてねニコニコ」と言い、保健室の引き出しから予備の帽子を取り出して、それを私が返却した割烹着の小袋へと入れました。

 

母は紛失した帽子の弁償をする旨も連絡帳に書いていましたが、学校側は「児童による備品の紛失は想定の範囲内であり、それを見越して予備も用意しているので弁償の必要は無い」との配慮を示してくださいました。もちろん紛失した物の内容にもよるのだと思いますが、少なくとも帽子ひとつなら問題はないとのことでした。

 

 

これにより、私の絶望は綺麗に晴れることになったのでした笑い泣き

ただ、もちろんその件以降、割烹着の小袋の口は厳重にしっかりと締めた上で、ランドセルの側面に下げるのではなく、ランドセルの中にしまうことで二度目の紛失を確実に避けることに徹したのでした。

 

 

 

大人になった今では微笑ましい思い出ではあるものの、当時の私にとっては本当に深刻な悩みだったんですよね。

 

そして同時に思うことは、子供が見ている世界と大人が見ている世界、そして子供が考える事と大人が考える事は、大人が想像する以上に大きく異なっているのだろうなということです。

 

昨今、子供が悩み事を思い詰めるあまりに不登校となってしまったり、最悪の事態に陥ってしまうケースも耳にします。

そういった状況になったとき、大人の私達はいったん自分達の考える常識を横に置いた上で、子供達の素直な気持ちを、こちらもまた素直な気持ちで聞いて受け止めることが大切なのかなと思います。

 

もちろん、ここで私が言う「大人の常識をいったん置く」というのは、決して頭を空っぽにしろという意味ではありません。

子供を導いてあげるための思考力・配慮は残したまま、子供の声にそっと耳を傾けてあげることが大事なのだと思います。

 

…って、これは当たり前のことですよねにっこり汗

私自身、教育機関のプロでもなければ心理カウンセラーでもないため、こういったごくごく当たり前のことしか言えないわけですが、でも世の中にはこの当たり前のことが当たり前にできていない大人達が存在するのも事実なんですよね。

 

自己保身のためにイジメの存在を隠蔽する学校や、子供の声をろくに聞かず、馬にムチ打つかのごとく強硬手段に出る乱暴な親など、たびたびニュース記事でそのような内容を目にします。

 

割烹着の帽子を紛失しただけで3時間も泣くような私がいるわけですから、それよりももっと深刻な事態に直面した子供が、より深く大きな絶望を抱えてしまう可能性だってあります。

 

最悪な結末を避けるためにも、今いちど大人の私達に何ができるのかを冷静に考えていくことが必要なのかなと思います。

 

 

 

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…と私の思い出話のはずが、ちょっと話が重くなりすぎてしまいましたねにっこり汗

でもまぁ、やっぱり子供の頃って小さなことでも世界の終わりみたいに悩んでしまうことってありますよね。

 

大人になるといろんな経験を経て知識も増え、トラブルに対処する能力も身につくことだと思います。

でも、それでも子供の頃に感じた、あの”責任に対する深い思い”というのは忘れないでいきたいものですね。

それがなかなか難しいことではあるのですが…汗

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!

では、また!