定時制高校【18】信用が無い者の言う正論は、風の音と同じ | マリアンヌのブログ

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信用が無い者の言う正論は、風の音と同じ

 

 

こんにちは。

 

今回は私が定時制高校(夜間高校)へ通っていた頃の思い出に関する内容です。

昨年の7月から書き始めて、今回で18個目の記事となりますねにっこり

前回までは修学旅行に関する内容を書いてきましたが、今回からは学校生活の内容に戻ります。

 

私が定時制高校に通っていたのは今から約10年以上も昔のことなのですが、その当時、私のひとつ下の学年にU君という男子生徒がいました。

U君は身長が約168㎝ほどで、小太り猫背の丸刈り頭の男子生徒でした。

 

このU君はとにかく問題児でして…

学校では、遅刻、授業サボり、全校集会中のおしゃべり、喫煙、飲酒、教師への生意気な態度に始まり、バイト先では、無断欠勤、無断遅刻、仕事サボり、仕事場の物品を乱暴に扱う、店長や社員からの指示に対して「は~い」と伸ばすような口調で返事をする、など学校とバイト先の両方で評判の悪い男性でした。

 

はい、そうです。

私とU君は同じ定時制高校の生徒同士であり、同じバイト先の従業員同士でもありました。

もっともバイト先においてのU君は入って三ヵ月ほどでクビになっていなくなりました(おもな理由は遅刻常習)

その後に学校の噂で聞いた話によりますと、それからもいろんなバイト先を転々していたようでした。イオンのフードコードにあるうどん屋のバイトでは、なんと入って1週間でクビを言い渡されたそうです。

 

学校内においても、「Uッ!」と教員が彼を怒鳴りつける声を何度も耳にしました。

U君は私のひとつ下の学年でしたが、それでも私のクラスの授業中に数学の先生が「〇組のUという子。彼には本当に困ったものです。現在、体調を崩して休んでいるようですが…。それも日頃の行いの悪さが影響してるんでしょうね。なんにしても、彼がいないと私達のストレスもだいぶ減って楽ではあるんですけどね」と言ってしまうほどの悪童でした。

 

U君という男子生徒は、なぜこれほどまでに一般常識が欠落していたのか?

 

私なりに考えてみたのですが、やはり親の教育が関係してるのかなと思います。

 

U君の場合、「悪さをしてやろう」とか「他人を困らせてやろう」といった悪意からくる迷惑行為をしているわけではなく、本人にしてみれば、普通のことをしていると本気で思い込んで行動をしているような感じなんですよね。

 

つまり、無自覚による迷惑者ということになります。

自分が異常な行動を取っているという「自覚」がないため、自身の行動を客観的に見つめ直すという発想も無く、必然的に反省をすることもありません。反省が無いので、日々の行動が変わることもない。

 

人間がこれほどまでに歪んだ人格を持ってしまう原因は、短期的なものではなく、長期的なものによる影響が関係していると考えられます。

それは、すなわち親の誤った教育による影響です。

私が見るかぎり、U君の人格の歪みに関しては、もう学校の教員が注意をするとか、仕事場の先輩が注意をするといった一時的な指導でどうこうなる範疇をとっくに超えているように感じられました。

 

ここまで深く心の歪みが進行している人間に対して、周囲の人間がしてやれること、それは「放っておくこと」しかないのだと私は思います。

学校の教員達も「どうせ卒業したら、そこでお別れ」、バイト先の店長や社員達も「指導するよりもクビにしたほうが早い(実際クビにした)」と、U君への矯正に見切りをつけてフェードアウトする選択をしていました。私もそれは賢明な判断だと思います。

U君のような人種と関わってもロクなことがありませんし、触らぬ神に祟りなし、ですからね。

 

 

そして、ここからが今回の記事の本題なのですが……

 

ある日、定時制高校のイベント行事の最中に、U君が、その場にいた生徒会役員(私も役員でした)と何名かの生徒や現場の監督教員に対して正論を言ったことがあったんですよね。

そのU君の正論は彼にしては珍しく理にかなった意見であり、正直、私も心の中では納得しておりました。

 

しかし、悲しいかな…

 

その場にいる生徒会役員や生徒達、教員の方々は、誰もU君の正論に耳を傾けようとはしませんでした。

信じられないかもしれませんが、その場を監督していた教員でさえ「U君、話はあとで聞きますから、今はこれをやってください」と言ったのです。

 

このとき、私は思いました。

 

私は正直言ってU君のことが嫌いでした。

しかし、それでも、その学校のイベント行事のときのU君の意見は、いま考えても間違いなく正論そのものであったと断言できます。もう一度言いますが、私も心の中ではU君の意見に同意していましたから。

 

だけど、その場にいた人間の誰もがU君の意見に従うことはしなかった。

 

それは、なぜか?

 

その理由は単純明快で…

 

U君に信用がなかったからなんですよね。

 

もっとザックリと言ってしまうと、U君という人間が、教員を含む周囲の人達から好かれていなかったからなんだと思われます。

 

本来、そのようなことはあってはならないことなんですけどね。

まして教育の場となる学校内ではなおさらですし、教員ですらU君の言葉に耳を傾けなかったのは、さすがに異常な状況であったともいえます。

 

でも綺麗事を抜きにして考えてみると、現実社会って結局そういうふうにできてるんですよね。

 

皆さんも社会生活を送る中で、「こいつの言ってることは正しいとわかってるんだけど、でも、こいつが嫌いだから同意はしない」といった場面に出くわしたことがあるかと思います。

 

人間とは感情がある生き物ですから。

 

結局のところ、

 

「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」で物事の是非が決められる場面って結構多いと思うんですよね。

 

いくら本人が「正論だろ!」「間違ったことは言っていないはずだ!」「だって正しいだろ!」と意気込んで主張したところで、それ以外の責任を果たさず、信用を築いていない人間の言う正論は、何にも意味も成さない「ただの音」となってしまうだけなんです。

 

 

信用が無い者の言う正論は、風の音と同じ

 

 

↑この言葉、私が当時バイトしていたスーパーマーケットの先輩社員が言っていた言葉です。

 

U君の正論意見が無視された出来事においても、正論はあくまで正論でしかなく、その意見の内容が正しいことと「その意見が周囲に聞き入れられるかどうか」は別の問題なんだというのが、しっかりと証明されてしまっています。

 

ちなみに正直に白状します。

 

………はい、そうです。

 

当時、私もU君の正論意見を無視した人達のひとりです。

心の中ではU君が正しいことはわかってはいたのですが、まぁ…私もU君にはバイト先でいろいろと不愉快な目に遭わされてきましたし、私だって感情のある人間ですから、当時は私も若かったとはいえ自分の感情を優先してしまいましたね。

 

信用というのは本当に大切なんだなというのは、つくづく感じますよね。

ときに学校の教員ですら感情を優先してしまうほどに、信用の有無が与える影響力というのは大きいといえます。

 

感情を抜きにして考えるなら、当時、私達や教員の方々がU君の正論意見を無視した行動は褒められた行為ではないでしょう。

それは私も認めます。

 

でも、現実はいつだって現実的な結果しか出さないものなんです。

 

信用されていない人間に与えられる権利なんて微々たるものなんです。

ここでいう権利とは、法律上で認められている権利とは意味が違います。

法律や人権がどうとかは、そういう場においてはあまり意味を成さないんです。

感情を持つ人間で形成される現実社会は、信用されていない人間の意見は通りにくいように出来ているんですよね。

 

なんだか哲学じみた内容になってしまいましたが、ようするに早い話が「他人に信用してもらいたいなら、日頃から行儀良くしろよ!」ってことなんだと思います。

それに尽きます。

 

ちなみにU君は、学校の卒業式(私の卒業式)で校長先生が話をしている最中においても、友人とおしゃべりをしていました。

結局あの正論無視の出来事も、彼の心には響いてなかったってことなんでしょうか。

U君にとって、あの正論無視の出来事は、なんてことのない、それこそ「」のように過ぎ去ってしまっただけの意味のない出来事だったんでしょうかね?

 

今となってはわかりませんが…

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました(^-^)

では、また!