野々市 光松八幡神社 | 金沢徒然日記

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日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

ぱんだの石川県お宮さん巡り(´Д` )

今回ご紹介するのは、野々市市徳用町に鎮座する光松八幡神社です。



​光松八幡神社

こちらが光松八幡神社です。

北陸本線JR野々市駅から徒歩20分以内の場所に鎮座していました。


​◯御祭神:応神天皇
◯鎮座地:石川県野々市市徳用町

光松八幡神社は古来より徳用村の鎮守社で、境内には根が二本の杉があったと伝えられていることから、古くは鉾杉社と呼ばれていました。

明治四年(1871)に御神体等を旧加賀藩主・前田斉泰から授かったことをきっかけに、明治二十二年(1889)に社号を光松八幡神社と改めました。

授かった御神体は隠居した加賀藩主の住居である金谷御殿(現在の尾山神社周辺)に祀られていた八幡神で、江戸徳川家の歴代将軍の信仰が篤い穴八幡神社(現在の東京都新宿区)の分神であることが分かっています。

社号である「光松」は穴八幡神社に伝わる光が飛び出る神松に由来しています。

光松八幡神社には、金谷御殿から移転された石鳥居の他、御神体と一緒に「光松山八幡宮縁起)、前田斉泰直筆の軸などが伝わっています。

これらは前田家ゆかりの貴重な史料として市有形文化財に指定されています。


​光松八幡神社

鳥居をくぐると、小さな石橋がありました。

石橋を渡って参道を進みます。


​光松八幡神社 御守殿御寄付の鳥居

加賀藩第十三代藩主の前田斉泰の正室は溶姫と言い、江戸幕府十一代将軍である徳川家斉の娘で御守殿と称されていました。

溶姫は文久三年(1863)にこの鳥居を寄付しましたが、徳用村に移築後は損傷が激しく、昭和三年三月に花崗岩の鳥居に建て替えられました。


​光松八幡神社 手水舎

手水舎です。

水がなみなみ(´Д` )


​光松八幡神社 拝殿と狛犬

拝殿まで来ました。

民家を写さない角度で撮影。

よく見ると、狛犬さんの上にカラスさんが止まっています。

カラス、たくさんいました(´Д` )


御祭神は応神天皇です。

第十五代天皇で、八幡神と同一視され、皇室の祖神・源氏の氏神として崇敬され、また弓矢の神として古来より武人たちに尊崇されてきました。


​光松八幡神社 狛犬

狛犬さんです。

かわいい(´Д` )

もう一体の狛犬さんは、民家にカメラを向けてしまうことになるため、撮影を断念しました。


​光松八幡神社

こうして見ると、境内は立派な木々に守られていますね(´Д` )

横は公園になっていました。


以上、野々市市の光松八幡神社について紹介しました。

加賀藩を治めた前田家から御神体や鳥居を授けられ、前田家ゆかりの貴重な史料も伝える神社ということで、大変興味深かったです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


参考:光松八幡神社案内板

石川県神社庁のホームページ