金沢 下野間神社 乙丸町の延喜式内社 | 金沢徒然日記

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日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

加賀百万石の城下町・金沢。
この金沢市の乙丸町に下野間神社というお社がある。


「下野間神社」
石碑に刻まれているように、延喜式内社にあてられている古社だ。
観光地や大通りからやや離れているためあまり目立たないが、その創建は奈良時代の天平四年(732)であり、1200年以上の歴史を持つ神社である。


「下野間神社」
境内の様子。
なかなか広い境内だ。木が生い茂り、灯籠が立っている。


「下野間神社」
拝殿と狛犬さん。
狛犬さんのうち、向かって左側は正面を見てもう一体の狛犬さんと向かい合う形になっているが、向かって右側はこちらを見ている。
カメラ目線な狛犬さんである。

天平四年(732)五月は天下旱にして五穀が実らなかった。
そこで里民が集まって藤原の神に祈ったところ甘雨が降って飢渇を救われたため、その御神徳を尊んで一宇を建立したのだという。
古くは春日明神と称したことから、当時は春日四神が主神であったと推測されている。
現在の御祭神は天照大神である。いつから御祭神が変わったのかはわからなかった。
明治六年に浅野神社に附属、昭和二十年五月に神饌幣帛料供進神社に指定された。
氏子地区は金沢市乙丸町である。

春日四神とは、藤原氏の守護神とも言える武甕槌命と経津主命、そして祖神である天児屋根命と比咩神の四柱のことである。
経津主命と武甕槌命は葦原中国平定の際に大国主命に国譲りを迫ったことで知られる。
また、天児屋根命は天照大神の岩戸隠れの際に祝詞を唱え、天孫降臨の際には天照大神の孫である邇邇芸命に随伴したとされている。

もともとは春日四神を祀っていた当社が飢饉をきっかけに天平四年に建立されたということは、それまでに当地に春日四神に対する信仰が根付いていたか、もしくは伝わっていたということになる。
春日四神を祀る有名な奈良の春日大社の創建は当社より後の神護景雲二年(768)といわれる。
それ以前に建立されたとされる当社がいかに歴史あるお社であるかがわかるであろう。

参考:石川県神社庁のホームページ