たまには生まれ故郷の静岡県を紹介してみようシリーズ。
今回は、静岡県の遠州地方(かつての遠江国)にある古刹・龍潭寺について紹介したい。NHKの大河ドラマ「井伊直虎」で改めて全国的に知られることになったお寺である。
静岡県浜松市井伊谷にある。浜松市内とは言え、風光明媚な奥浜名湖よりも北に位置するため、豊かな自然に囲まれ、のどかな町である。
この井伊谷地域は、古くは「井の国の大王」が聖水祭祀を務めた「井の国」の中心で、浜名湖に注ぐ井伊谷川、神宮寺川に沿った台地には縄文時代や弥生時代の遺跡、古墳が数多く残されており、水にまつわる伝説も多い。
当寺の歴史は古く、奈良時代の天平五年(733)に行基菩薩によって開創されたと伝わる。
後には、井伊家の祖霊を祀る菩提寺として歴代当主に深く帰依されてきた。
室町時代末期になると、井伊家の二十代当主・直平が帰依した黙宗瑞淵和尚を開山として迎え、禅宗となり、後の遠州地方の臨済宗妙心寺派の法源となった。
また、今川氏に仕えて桶狭間の戦いで戦死した井伊家二十二代当主・直盛の戒名を取り、寺号を龍潭寺とした。
一万余坪の境内には、江戸時代に建立された県指定文化財の本堂・開山堂・総門・庫裏・霊屋などの貴重な建物が立ち並び、国指定名勝である小堀遠州作「龍潭寺庭園」が四季折々の風光と調和しながら悠久たる「井の国」の歴史と文化と信仰を今日に伝えている。
龍潭寺参道を出て徒歩二分ほどのところにある。ご覧の通り、田んぼに囲まれている。
平安時代に井伊家の初代・共保が生まれたと伝えられている井戸だ。
井伊家は、生まれたこの井戸に因んで旗印を井桁、傍の橘の花を家紋とした。
井伊家は、保元の乱では源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代には後醍醐天皇の皇子・宗良親王を迎えて北朝と戦い、武勲を成した。
戦国時代、今川義元が織田信長に討たれた桶狭間の戦いで二十二代当主・直盛が戦死し、二十三代・直親が謀殺されると、井伊家は存続の危機に立たされた。
このとき、直親の遺児・虎松の後見として女領主になったとされているのが、直盛の一人娘である井伊直虎である。歴代当主に記名はないが、井伊家受難の時代を救った人物とされている。
この直虎の後見を受けた虎松は、長じて井伊家二十四代当主・直政となり、浜松城主であった徳川家康に仕え、井伊の赤鬼と呼ばれるほどの活躍ぶりを見せた。
やがて、徳川四天王の一人に数えられるほどに出世し、近江彦根藩の初代藩主となった。
幕末には、三十六代当主である井伊直弼が大老として開国の偉業を成し遂げている。
江戸時代初期に本堂北庭として小堀遠州によって築かれた池泉鑑賞式庭園である。
中央に守護石、左右に仁王石、正面に礼拝石(坐禅席)が配され、さらに池の形が心字池になっていて寺院庭園として代表的な庭である。
数多くの石組みと、築山によって鶴亀が表現されている。
岩は、地元で産するチャート(通称山石)を使い、明るく澄んだ庭である。春のサツキ、秋の満天星と四季折々の変化に富む。
昭和十一年には国指定名勝となっており、まさに東海一の名に恥じない名園だ。
奥に見える建物は井伊家御霊屋で、井伊家歴代当主の御位牌を祀っている。
堂内には、井伊家初代の共保、二十二代・直盛、二十三代・直親、二十四代・直政の木像が安置され、井伊直虎とその母・祐椿尼の位牌や、幕末の大老・井伊直弼の位牌も祀られている。
以上、龍潭寺について紹介した。庭園が見事な歴史ある寺院である。興味のある方はぜひ調べてみてほしい。
参考:龍潭寺のホームページ
http://www.ryotanji.com