寺地全域が金沢市の保存樹林に指定されており、立派な木々がそびえ立っている。
由緒書きと曹洞宗石川県宗務所のホームページによれば、当寺は天正十年(1582)に尾張国にて、小松玉龍寺三世・大圓慧展により創建された。慶長年間に摂津国難波岡(現在の大阪府)に転じ、金龍寺と称した。しかし、火災で伽藍を失い、寺号を龍渕寺に戻したという。
寛永二年(1625)、加賀藩の家臣・前田長種を介して、犀川川原に寺地千八百坪を得て、中興四世・徳厳文尭によって再建された。その後、正保二年(1645)に寺地三千坪を拝領して現在地に移転した。
境内には藩主公用の竹林があるが、これは加賀藩三代藩主・前田利常の命により指定されたものである。
また、書家・独角宗麟や、加賀古流生花の始祖・近藤理清などの墓がある。
当寺が創建されたのは、ちょうど本能寺の変が起こった年である。また、当寺が大阪にあったという慶長年間は、関ヶ原の戦いや大坂の陣など、江戸幕府の支配確立に向けての重要な戦いが続いた時期であった。
当寺が金沢に移転したのは、加賀藩三代藩主・前田利常の時代である。仲介した前田長種は、加賀藩の藩祖・前田利家とその正室・おまつ(芳春院)の長女・幸姫を娶っていた。この家系は加賀八家の一つ、前田対馬守家となる。
ところで、当寺周辺には、前田対馬守家に縁があるお寺が多いように思う。例えば、当寺の近くにある玉龍寺はこの前田対馬守家の菩提寺である。対馬守家の影響力の強い地域だったのであろうか。興味は尽きない。
参考:曹洞宗石川県宗務所のホームページ(http://www.sotozen-net.jp/temple/50)