本覚寺 前田利長の分骨と位牌を納めたお寺 | 金沢徒然日記

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金沢市の本覚寺は、本門山と号し、顕本法華宗に属する。いわゆる、寺町寺院群に含まれるお寺である。

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こちらが本覚寺。
由緒書きによれば、慶長十九年(1614)に、加賀藩の重臣・三輪志摩守長好が加賀藩三代藩主・前田利常より、現在地の千百四十坪を拝領して当寺を建立、京都妙満寺貫首・日経を開山としたという。
三輪氏は、前田利常に願って寺内に豪華な御骨堂を建立し、加賀藩の二代藩主である前田利長の分骨と位牌を納めた。このため、利長の正室で織田信長の四女である玉泉院(永姫)がしばしば当寺に参詣したという。
当寺はもともと不受不施派の寺であった。はじめは本長寺と輪番で前田家領内同流派寺院の触頭を務めた。
文政十年(1827)、自火により一宇残らず焼失し、その後再建されたが、明治四年(1871)三月に起きた六斗の大火で再び類焼した。

さて、当寺に前田利長の分骨と位牌を納めたという三輪長好は、前田利長の乳母子にあたる。長好は当寺を建立することで、自身の主君であり、乳兄弟にもあたる利長を供養しようとしたのである。養い君と乳母子との関係が垣間見られるといえよう。