牛坂八幡神社 | 金沢徒然日記

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日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

牛坂八幡神社は、金沢市旭町にあり、応神天皇・大山咋神・少彦名命を祀る村社である。

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こちらが牛坂八幡神社。
社名の「牛坂」は旭町の前身であり、もとは石川郡鞍月郷に属した集落である。慶長九年(1604)にはその存在が確認される。
その後は幾多の変遷を経て、文政四年(1821)には金浦郷に属していたが、明治二十二年(1889)に崎浦村字牛坂となった。
昭和十一年(1936)に金沢市に編入された際に、鶴間坂の旭観音にちなみ、町名を旭町と呼称、現在に至っている。

当社の創建は明らかではないが、安永五年(1776)にはすでに建立されていたようだ。
当時は八幡神社と日吉社の二社が存在し、このうち日吉社は安永五年(1776)に川の中より拾い上げられた大山咋神を祀っていた。慶応三年(1867)に社殿が造営され、遷座している。
しかし、明治四十年(1907)になると、日吉社の大山咋神は八幡神社に合祀されることになった。以降、当社では応神天皇と大山咋神の双方を祀っているのである。

昔の社殿は北向きであり、その門前に集落があった。しかし、藩政末期の大火で民家の大半が焼失し、現在の旭用水沿いの山側に散居したため、神社は田んぼの中に孤立し、祭事以外は参詣する人も少なくなってしまった。
旭町は昔から農業を生業としてきたが、時代の推移により、町のさらなる発展を願って、昭和四十七年(1972)に区画整理事業に取り組み、昭和五十二年(1977)に工事が完成して現在の町並みが形成された。
この事業を機会に、昭和五十年(1975)に新しいお社が竣工された。現在、当社は街中の道路沿いにあり、参詣に便利である。

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境内の用水。手水舎や盤持石が見える。盤持石の重さは四十二貫(157kg)と刻まれている。江戸時代より、この石を使って体力の維持向上と力自慢をしたそうだ。

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拝殿と狛犬さん。
なかなか筋肉質な狛犬さんだ。

御祭神の応神天皇は第十五代天皇。八幡神と同一視され、母后の神功皇后とともに祀られることも多い。武運の神様とされる。
続いて大山咋神は日吉大社に祀られる山の神様である。素戔嗚尊の御子である大年神の御子とされている。
最後に少彦名命は大国主神とともに国造りを行った神で、医薬の神様とされる。

当社の歴史からは、旭町の歩みを知ることができる。現在の旭町は金沢大学や北陸大学の学生たちが住まう場所にもなっている。旭町の街並みを見ながら、旧集落名の「牛坂」の名を冠した当社に参詣し、かつての集落に想いを馳せるのもよいのではないか。