こんにちはyanagi(Big Spoon)です。 (・∀・)
前回の記事から、フロイト派的な視点の功罪について書き始めました(前回の記事はこちらからドーゾ)。
そして、途中から、その『罪』とまではいえないにせよ、生じてしまった副作用についても書き出しました。
実は、この問題に関していうと、私自身けっこう強い思い入れがあるのです。
というのも、多分前に書いたと思いますが、私も20~30才代には離人症気味になったり、社会生活に強い不適応感をいだいたことがあって、その当時は苦しんだのです。
そして、そのころは精神分析的な視点にかなり強くコミットしていた私は、いつしか苦しみを母にぶつけるようになってしまったのです・・・
ヒドイですね~。今になって振り返ってみると、ほぼ完全に言いがかりです。
・.:゚。┣\('ロ´\)オリャ-
ま~、後から考えると、神様ではないごく普通の人間である母にそれらの原因をなすりつけることには、かな~り無理がありました。
また、私を育てることに関して母自身に問題があったというわけではなかったように思います(ただし、母のもっていたいうなれば『時代精神』のようなものは問題アリだったのかもしれませんが、それも母のせいではありません)。
そういったことへの自戒と母への感謝を強くこめて、今これらの記事を書いています。
世の中には地獄の鬼(見たことないけど)のような母親がいることも、悲しいかな事実です。
テレビの報道ではそういった悲しい事件などが流されることも稀ではありません。
そして、それは今にはじまったことではありません。いつの時代にもそういうことをする人は悲しいことにある程度はいるのです(だからと言って、そういうのがイイと言っているわけではありません)。
しかし、大多数の母親というのは、決してそうではないですよね。
コミュニケーション能力がまだまだ低い子供という存在に向き合うのは、相当に大変なことだと思います。
それを粛々とこなす母親という存在は、もう聖なる存在と言ってもいいと思います。
モチロン、母子関係は重要なのです。この点、男なんてさびしいものです(苦笑)。
でも、それだけに母親に対しては、妥当ではない、ムチャな、いわれなき批判が生じてしまうこともあります。
それに対しては、敢然とかつ誇りをもって立ち向かっていただきたいと思います。
(映画版ガンダムOOのほぼラストシーンで使われるクオンタム・バースト。存在と存在が分かりあうための・・・)
今回の記事は私の主観というか感情ずいぶん強く入ってしまい、意外に書き進んでしまったので、次回にはフロイト派的な視点の副作用について具体的に書こうと思います。
ほんなこんなで、もう少し続きまっせ~。。
占いランキング
ポチっ~と応援お願いしま~す。