オレの通ったロック道~ディープ・パープル | オレおんせん

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生き急いだ結果、体も壊し、なんにも残ってません。海を見ながら暮らせたらと、メンタルな生活を求めて湘南へ移住しました。

『エリア88』や『ふたり鷹』などで知られる

新谷かおる氏の短編で知った”ハイウェイ・スター”

 

親戚のおばさんチにあった

当時モノのレコード、”マシン・ヘッド”

 

楽器店での試し弾き禁止、”スモーク・オン・ザ・ウォーター”

 

数々のヒット曲や名フレーズを生み出した

孤高のギタリスト、リッチー・ブラックモア

 

ディープパープルの結成は1968年

最初期のメンバーは

 

Vo:ロッド・エヴァンス

Gu:リッチー・ブラックモア

Ke:ジョン・ロード

Ba:ニック・シンパー

Dr:イアン・ペイス

 

『Shades of Deep Purple(ハッシュ)』【1968年】
『The Book of Taliesyn(詩人タリエシンの世界)』【1968年】
『Deep Purple(ディープ・パープルIII)』【1969年】

 

最初期のこの頃は、ジョン・ロードが頑張ってる印象

次の『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』で燃え尽きる感じ

 

オレ的には、IIIに入ってる”April(4月の協奏曲)”が好き

 

 

1969年からの第2期が”黄金期”って言われてる

メンバーは

 

Vo:イアン・ギラン

Gu:リッチー・ブラックモア

Ke:ジョン・ロード

Ba:ロジャー・グローヴァー

Dr:イアン・ペイス

 

『Deep Purple in Rock(ディープ・パープル・イン・ロック)』【1970年】

『Fireball(ファイアボール)』【1971年】

『Machine Head(マシン・ヘッド)』【1972年】

『Who Do We Think We Are(紫の肖像)』【1973年】

 

ジョン・ロードのクラシック路線の余韻で

いきなりオーケストラとの共演という大役をさせられたギランが悲惨

第2期はリッチー・ブラックモアが頑張るハード路線に

文字通り”イン・ロック”ってタイトルでググッと

 

 

ちなみにこの時期からアナログ(レコード)の”ライブ盤”に

名盤と言われる作品が多く出るようになったとか

『Made in Japan(ライヴ・イン・ジャパン)』【1972年】もそのひとつで

8月に行われた大阪・東京公演を収録

この成功を機に数々のアーチストが日本公演のアルバムを

出すようになったとかならないとか

 

第3期の始まりは1973年から

メンバーは

 

Vo:デヴィッド・カヴァーデイル

Gu:リッチー・ブラックモア

Ke:ジョン・ロード

Ba&Vo:グレン・ヒューズ

Dr:イアン・ペイス

 

『Burn(紫の炎)』【1974年】

『Stormbringer(嵐の使者)』【1974年】

 

新たな2人の加入によってブルース色が少し出たように思う

この頃バンドにカヴァーデイルの意思を反映したのか

この頃の路線が後のホワイトスネイクに影響したのか

わからない、どっちかなんでしょうね

 

 

この”カリフォルニア・ジャム”のステージはホントに大々傑作

不機嫌だったらしいリッチー以外はめちゃくちゃキレキレ

イアン・ペイスなんてマジで神がかってる

 

ココで

”ディープ・パープル”って”リッチー”なのか”ロード”なのかって

リッチーが抜けたらもう違うとも思うけど

1975年、”レインボー”結成のためにリッチーはパープルを去りました

第4期のメンバーは

 

Vo:デヴィッド・カヴァーデイル

Gu:トミー・ボーリン

Ke:ジョン・ロード

Ba&Vo:グレン・ヒューズ

Dr:イアン・ペイス

 

『Come Taste the Band(カム・テイスト・ザ・バンド)』【1975年】

 

ところがこの時唯一のアルバムがなかなかの名作だったりする

 

 

復活してからのことにはあんまり興味がありません

中にはイイ曲もありますが…

 

復活後の新作を追うマニアな方もいるようですが

オレはまぁいっか、という感じです