まねブログ ”「立ち直る」のではありません。「和らぐ」のです。” | 助産師さんの観察ブログ

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12人産んだ助産師HISAKOさんを観察しています。いつかいいね数を越えるのが夢 だったのに閉鎖されちゃった

12人産んだ助産師HISAKOさん、

「経験したことがなくて語れないなら人の言葉をまねすればいいじゃない」シリーズ。長い。
教えて!gooさん、YAHOO知恵袋さん、経験者集合知のまねです。

 

まねではないところ。

あの女性も
わたしと同じ苦しみを味わえばいいのに!!

 

そんな思いが頭をよぎり、自己嫌悪。

このくだりは独自性を感じます。

ライブ配信で、身内の妊娠を報告した視聴者の喜びコメントに、突然「流産すればいいのに」「こんな風に思っちゃうこともありますよね、えーんですよそれで」と笑わない目で返しててギョっとしたことがあります。

思っちゃうのはえーんですけど、口に出す流れじゃないやろ、と思いました。

 

元記事HISAKOさんブログの類似部分を、元記事の流れに沿って引用、並記しています。あくまでも一部抽出ですので、元記事の意図は十分に汲めません。興味を持たれた方はぜひリンク先をご一読ください。
※まねブログのリンクは記事作成時点で確認できたURLです。バナーはブログ、タイトルテキストは魚拓にリンクしています。
※同じ文章は、2023年3月までnoteとアメブロプロフェッショナルブログにも掲載されていた可能性がありますが、いずれもHISAKOさんブログ一本化を理由に閉鎖・削除されています。

 

12人産んだ助産師HISAKOさんブログ

2021-07-26

「立ち直る」のではありません。「和らぐ」のです。

 

 

元記事 

教えて!gooさん

2010-01-04

 

 

 

青 元記事

私だって、育児に追われてみたかった、
こんなに悲しい産後になる予定などなかったのに!と

赤 12人産んだ助産師HISAKOさん

わたしだって今ごろ赤ちゃんと楽しい毎日を
過ごしていたはずなのに・・・


この友人に限らず、今後友達に会うのが怖くなってしまいました。

誰からなんと言われようとも
会うのが怖い気持ちが勝つのなら
会わなくていい。

 

産まれてくる、生きている、この事は本当に奇跡なのですよね、
こうして勉強できたことを、死んだ赤ちゃんに本当に感謝しています。

不妊、流産、死産・・・
当事者になって初めてその奇跡に気づきますね。


回答者: hirona 回答日時:2010/01/04 17:46

で。
正直なところ、立ち直っておりません(爆)

いつまでも立ち直れなくて普通です。


というか、死ぬまで立ち直るつもりはありません(断言)

いえ、死ぬまで
立ち直れなくてもいいんじゃないかとさえ
思います。


当たり前です。自分の子どもが死んだのに、それが悲しむのが、おかしいとは思いません。辛くて当然。
わが子を失ったママの心の傷は
そう簡単には癒えません。
悲しいのは当たり前です。
いつまでも立ち直れなくて普通です。


知り合いとの関わりも、悪気なく明るく言われると頭にきて、余計な気を使われると腹がたち、何を言われても普通でいることが出来ませんでした。

周囲の人たちとの関わりも
悪気もなく明るくされるとモヤっとし、
余計な気を使われるのにも腹が立ち


結局、何を言われても
相手がどんな態度を取っても
普通でいることができず


私も質問者さんと同じで、流死産や不妊のことに関して、いかに何も考えていなかったか、

不妊、流産、死産・・・

 

生きている子どもを産むことが、それ以前に妊娠することが、いかにミラクルなことなのか、

生きている赤ちゃんを産むことが。
それ以前に妊娠することが、
いかにミラクルなことなのか。

 

自分で死産を経験して初めて知りました。

当事者になって初めてその奇跡に気づきますね。


お友達を含め、知り合いに普通に会ったりメールしたりできる日は、来ます。

甥っ子ちゃん含め、
知り合いや家族に普通に会うことができる日は
必ず来ます。


でも、どのくらい期間がかかるかは、人それぞれです。

ただ、どれぐらいの時間がかかるかは
人それぞれ。


回答者: pinkygold 回答日時:2010/01/04 11:03

でも、今は辛くて何も見えなくても、いつかきっと前向きになれる日が必ず来ます。
辛くて何も見えない時期もあっていいのです。
 

 今までの経験があったからこそ、わが子の大切さがよくわかりますし、子供に恵まれない女性の気持ちもよくわかりますが、同じ経験をしていない人に励ましのメールをもらっても、この気持ちを理解してもらうのは無理だと思います。

なので、実際にわが子を失う苦しみを
本当に理解することは
到底できないかもしれません。

 

回答者: 1000chika 回答日時:2010/01/04 06:49
心の傷というのは、見た目ではまったくわかりませんし、

心の傷というのは
見た目ではまったくわかりません。

 

自分を自分で支えるのが精一杯で、その事で必死な時ほど、

自分を自分で支えるのが精一杯で
そのことで必死なときほど

 

他人のちょっとした言動なんかに敏感に反応してしまって、

他人のちょっとした言動なんかに
敏感に反応してしまいますよね。

 

そのたびに感情が安定せず、時にはとても醜い姿をさらすことになることもあり、それがまた自己嫌悪につながってしまって・・・というのが私のサイクルでした。

そのたびに感情が安定せず
ときにはとても醜い姿をさらすことに
なることもあり、
それがまた自己嫌悪につながってしまいます。


自分に一番、素直で正直でいることだと思います。
自分に素直に正直であることが一番だから。

怒りがこみあげてくればその感情を出せばいいと思いますし・・・!

怒りがこみあげてくるときは
その感情を出せばいい!


でも確実にいえるのは、けっして後ろには下がっていないということです。

やっぱり会えない・・・という結論に達したとしても
確実に言えるには
決して後退しているわけじゃないってこと。


ちょっとずつ・・・ちょっとずつ、イライラするくらい?!ゆっくりな速度ですが、不思議と前進していますよ^^
ちょっとずつ・・・ちょっとずつ・・・
本当にゆっくりですが
あなたの心は前進しているはずです。


お婆ちゃんになるまでに、あんな事があったな~、って笑えればいいや、って思っています^^(あ、ちなみに今、まだ40歳ですけどねっ)
数十年スパンで物事を考えて、
おばあちゃんになったときに

あんなことがあったな〜
あれは辛かったな・・・

 

昔のできごとを
穏やかに話せる日が来たら
それで万事OKなのかな、と思います。


きっとまだまだ、これからいろんなことがあるんだと思います。

きっとまだまだ、
これからの人生、いろんなことがあります。

 

(あんまり参考にもならない文章でスミマセンっ)

※HISAKOさんにはめっちゃ参考になってます。

 

元記事 

Yahoo!知恵袋さん

2019-10-03


青 元記事

牙の抜け落ちた老雌ライオンさん
2019/10/4 19:01
『日にち薬』と言われるように、時が経てば段々と和らいでは来ますが、そんなに簡単に忘れられるものではありません。

赤 12人産んだ助産師HISAKOさん

時が経てば、
悲しみや苦しみはだんだん和らいでいきます。


母親が我が子を失う苦しみを本当に理解できるのは、実際に経験した方だけだと思います。

なので、実際にわが子を失う苦しみを
本当に理解することは
到底できないかもしれません。


質問者さんの心が悲鳴をあげているのに、無理に会う必要はないと思いますよ。

心が悲鳴をあげているときには
無理をする必要はありません。

 

我が子を失った母親の心の傷は、そうそう簡単には癒えないですから、無理は決してしないでください。

わが子を失ったママの心の傷は
そう簡単には癒えません。


eri********さん
2019/10/4 18:26
たった1年で割り切れるほど浅い傷ではないと思います。

1年、数年・・・
そんな短いスパンで割り切れるほど
浅い傷ではないはず。

 

私も今でも赤ちゃんも妊婦もみたくありません、

妊婦を見るのが辛い、
赤ちゃんを見ると呼吸が苦しくなる、

 

みると私の方が先に妊娠してたのにとか、私も今頃べビーカー引いてるはずなのにとか、

わたしだって今ごろ赤ちゃんと楽しい毎日を
過ごしていたはずなのに・・・

 

妬み以外の何ものでもないことはわかっていても黒い感情が出てきて自分でも嫌になります。

妬みやひがみ、黒い感情が
沸き上がってくる自分が恐ろしい。


大人にならなきゃいけないこともあると思いますが、そんなことが言われる世の中なら不妊病院は子供連れ禁止になんてしてませんよ。

例えば不妊専門のクリニックは
子連れ禁止の施設も多いですよね。

 

それほど妊娠については心の傷は深いものです。

それほど『妊娠』『子ども』についての事柄は
繊細なことなのです。


無理せず一番にご自身の心を大事になさってください。

甥っ子ちゃんに会おうと心底思える日まで
自分の心を一番に大切にしてあげてほしいと
思います。

 

syo********さん
2019/10/3 17:21
でも、会いに行く前より、会ってしまったほうが気が楽になったことを覚えています。

会いに行く前より
会ってしまったほうが気が楽になる
というのはあるかもしれませんね。


会わなくてはいけない子に、会いたくないと思ってしまう自分や、周りの人に気を遣われてしまうことが嫌だったのだろうと思います。

会うべき子どもに
会いたくないと思ってしまう自分、
その一歩を踏み出せずにいる自分、
そして家族に気を遣わせている事実・・・


家に帰って、ドッと疲れましたけど、でも、ホッと肩の荷が下りた気がしたのを覚えています。

とりあえずミッションクリアで
なんだか肩の荷が下りた・・・
という感覚になる可能性だってありますよね。


少なくとも、会いに行くか、行かないかの悩みからは解放されます。
少なくとも
会いに行くのか?それとも行かないのか?
いつまでこの状態を続けるのか・・・

という負のループからは解放されます。


会いに行かないことで、あなたが心穏やかに過ごせるのならば、行かなければいいと思います。

会いに行かないことで
あなたが心穏やかに過ごせるのなら
行かなければいい。

 

でも、そのことで悩み続けなければならないのなら、一瞬だけ頑張って、あとはそこから解放されたほうが精神的に楽になることもあるかと思います。

そのことで悩み続けるのもキツイのなら
えいや!と気合いでがんばって
そこから解放されてしまったほうが
精神的に楽になることもあるかと思います。