チャンネル登録50万に寄せて。許しがたいまねブログ ”『死』が頭から離れません” | 助産師さんの観察ブログ

助産師さんの観察ブログ

12人産んだ助産師HISAKOさんを観察しています。いつかいいね数を越えるのが夢 だったのに閉鎖されちゃった

YouTube「【12人産んだ】助産師HISAKOの子育てチャンネル」は、開設4年目にしてチャンネル登録50万を達成されました。



素直に感嘆します。


しかしその動画群には、まねブログと同じ流れで撮られたもの、他人の言葉が相当数あると私は思っています。

 

今年に入ってから4ヶ月あまり。

HISAKOさんブログに埋められた誰かの言葉は、掘れば掘るだけとめどなくあらわれ、

「自身の体験から得た気付き」として語られてきたことが「他人の体験から生まれた他人の言葉」であった例を、私は嫌と言うほど見ることになりました

 


′『死』が頭から離れません‘ブログ、寄せられたお手紙に答える形でHISAKOさんが綴っていたのは、

「死に直結する体験をしたからわかったこと」。

死生観も、他人のまねでした。

 

出産で子宮全摘となったママさんの、「死を意識して怖い」「かわいい子どもとずっと生きていたいと思う自分はおかしいのか」という、混乱を含む悩み。

 

回答に利用されたのは、国立がん研究センター がん情報サービスで公開されている冊子「もしも、がんが再発したら」から「生きる意味を考えること」の章。


がん再発に至った患者さんご本人とご家族のために作られたもので、体験からうまれた言葉とその立場になったときに支えとなる情報が、慎重にまとめられています。

 

大きな体験をした時、言葉は言葉になりません。

ふきだす思いは形にならず、言葉は散り散りに浮かんでは消え、波に砕かれ、沈み、まきあげられ、混沌は続きます。

振り返り、苦痛を伴う追体験を繰り返して、思いはようやく言葉の形を見せはじめる。

 

冊子にまとめられたのは、そんな時間を経て紡がれた当事者の言葉。

がん患者ご本人やご家族が、生死に向かい合う自らのこころを見つめ、たぐり、綴った文章です。

病と生きる誰かのために、生きる日々にあかりを灯せるようにと、編まれた冊子です。


それを彼女はやすやすとかすめとり、自分のもののように話し、ブログ更新の実績を作り、アメブロプロフェッショナルブロガーとしての面目を保ち、どんな悩みも受け止め答える人生経験豊富なスーパー助産師の体裁を整えました。

 

この事実に気付いてしまった今、私の目にうつるばぶばぶという企業は、ただ醜悪。

自分の言葉で答えられない問いを突きつけられたとき、他人から寸借を繰り返してまでも「HISAKOさん」として答え続けてきた彼女は、あまりにも、あまりにも薄っぺらく、哀れです。


以下、いつも通りに類似点を並べています。

でも、がんを身近に体験した方がじっくりと読むことはあまりおすすめしません。

私は血の涙が出る感覚を味わいました。


元記事HISAKOさんブログの類似部分を、元記事の流れに沿って引用、並記しています。あくまでも一部抽出ですので、元記事の意図は十分に汲めません。興味を持たれた方はぜひリンク先をご一読ください。
※まねブログのリンクは記事作成時点で確認できたURLです。バナーはブログ、タイトルテキストは魚拓にリンクしています。
※2023年3月のHISAKOさんブログ一本化(アメブロ、noteを閉鎖)以降、削除されていることがままあります。削除理由は当方ではわかりかねます。

 

元記事

国立がん研究センター がん情報サービス

2020-08‐20

12人産んだ助産師HISAKOさんブログ

2021-04-30

『死』が頭から離れません

 

青 元記事

それぞれが考える「生きる」は違う形でしたが、
死を考えることは、どう生きるかを考えることだ、というのが
私たちの結論でした。

赤 12人産んだ助産師HISAKOさんブログ

死を考えることは、
どう生きるかを考えることです。

 

(岐阜県、27 歳、女性)

周りの友達が当然のように仕事をして、結婚して、出産しているのを見ると、自分だけ取り残されたような気持ちになります。

周りの友達が
2人目を出産しているのを見ると
自分だけ取り残されたような気持ちになるのは
それこそ当たり前の感情だと思います。

 

祖母や母など身近な人の姿から、仕事をして、結婚して、出産して、育児をして……というのが当たり前の道だと思っていたのに、がんの再発によってその道を歩けなくなりました。

当たり前のように
「子どもは2人」と思っていたのに
子宮全摘というまさかの出来事によって
その道を歩めなくなってしまったわけで

 

見本のない人生をどう生きるか、私にとって大きな課題であり、不安でもあります。

見本のない人生をどう生きるか。

彼女にとって大きな課題であり
不安でもあるでしょう。

 

でも当たり前の道を歩いていたらできなかっただろうことをたくさんして、取り残されるのではなく、誇りを持って進みたいと思っています。

当たり前の道を歩いていたら
できなかっただろうことを
当たり前じゃない人生になったからこそ
たくさんできる、ってこともありますね。

 

取り残されるのではなく
誇りを持って進めたら素敵です。

 

(北海道、49 歳、女性)

私自身ががんになって、何でがんになったんだろうとか、
自分の人生の意味みたいなことを考えました。

なんで自分が、稀にみるような
壮絶な出産になったんだろう・・・

なんで自分が、
子宮を失わなくちゃいけなかったんだろう・・・

 

つまり彼女は
『人生の意味』みたいなことを
考えているのだと思います。

 

がんをただ災難と、そういうふうに考えている人もいると思うのですが、
意味を探すということも重要な気がします。

災難だと考える人もいると思うのですが、
意味を探すということも重要な気がします。

 

人生においてがんになってしまったことをきっかけに、自分の人生を問い直してみ
るいい機会にしてもいいのかなと思ったんです。

人生において『まさか』が起きたことをきっかけに
自分の人生を問い直してみる
いい機会にもなります。

 

(東京都、58 歳、男性)

がんを宣告されると、死を強く意識せざるを得ません。

死を強く意識したのを憶えています。

 

普段は考えもしなかった死について漠然とした恐怖を感じることもありま
す。

普段は考えもしなかった
『死』について考える機会が増え

 

(編集)

この部分は、あなたが、あなたにとっての限りある時間に
ついて考えたいと思ったときのためにつくりました。

限りある時間について考えることですよね。

 

あなたは、あなたの身近な誰かにとって、かけがえのない
大切な存在です。

数年かかりましたが、
わたしは、わたしの身近な誰かにとって
かけがえのない大切な存在なんだと
確信するに至りました。


そして、あなたにも「大切に思う誰か」が、いるでしょう。

そしてわたしにも「大切に思う誰か」がいて、


あなたの大切な誰かは、困難な状況を乗り越え、成長する力
をその人の中に持っています。

わたしの大切な誰かは、
困難な状況を乗り越え、
成長する力を持っているのだということにも
気づきました。

 

そう信じることは、あなたが未
来に進む力を、きっと与えてくれるでしょう。

人が持っている偉大な力。
それを信じることは、わたしが未来に進む力を
与えてくれました。

 

(東京都、50 歳、女性)

私は、自分が死んだ後、幼い子どもや夫がどうなってしま
うのかと考えると、長い間、恐ろしさで胸がつぶれそう
でした。

自分が死んだら、
幼い子どもたちはどうなってしまうんだろう・・・

あとで冷静になって考えたとき
恐ろしさで胸がつぶれそうになりました。

 

(神奈川県、63 歳、女性)

けれど、娘たちの今の苦労は、生きること、死ぬこと、いたわり合うことを
学ぶ、彼女たちにとって大事な機会なのですよね。

死に直結するような体験をしたことで
生きること、死ぬこと、いたわり合うこと
大切なことをたくさん学びました。

 

HISAKOさんは、どんな立場の、どんな人から言葉を盗み取ったのか、わかっていないのでしょうか。

当事者やご家族がこの仕打ちを知ったら何を感じるか、想像できないのでしょうか。


彼女がやっているのは「許しがたい行動」だと、どうすれば自覚してもらえるんだろう。


ネットの片隅で私がチマチマねちねち書いたところで、50万の賛同者を得たと信じる彼女には、なにも響かないのだと思います。


50万の中に、彼女の真なる成長を願う人がいるなら。なにが「許しがたい行動」なのかを、根気強く、伝えてあげてください。