消された声を悼む | 助産師さんの観察ブログ

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アメブロプロフェッショナルブロガーだった12人産んだ助産師HISAKOさんを観察しています。15人大家族ではありません。なぜかアメブロは閉鎖、ばぶばぶでもブログは更新されなくなったので、主に過去ブログからコピペ疑惑を掘り出しています。

12人産んだ助産師さんの動画2本が非公開になりました。

 

これまでの成り行きを整理してみます。

 

・「【毒親】という言葉が苦手です。」指差し動画公開

・翌日 「先日の動画についてお話させてください。」号泣動画公開

 ブログ、動画 公開停止

・6日後 ブログ更新再開

・8日後 「今のキモチ」ブログ

・12日後 動画「今日からまたがんばります!」公開

・15日後 動画「【毒親】という言葉が苦手です。」「先日の動画についてお話させてください。」 非公開

 

毒親動画公開から16日後の今日、他の動画は着々と上がっていますので、この件に対してチャンネルの対応は一段落と思われます。

 

現時点での感想を書きます。

 

まず、動画を消すことの是非はともかく、「なぜ消したか」の表明がないために非常に後味の悪い対応となっています。

 

運営側のやり方に疑問が生まれた時、それぞれの立場で動画を楽しみにしている人たちが、それぞれの立場から運営の真意を測りあって喧嘩する。

「運営側の真意」を視聴者に測らせる時点で運営の不手際です。視聴者悪くない。

 

「けんかをやめて ふたりを止めて」

あなたが止めて。

 

個人的には、動画非公開の選択は2件ともやむを得ないと思っています。

 

号泣動画。

映像のインパクトが強すぎて、本来伝えたい相手とは違う層のオモチャになりかねない状況でした。

発言の主旨は、「今のキモチ」ブログでも「がんばります」動画でも重複して語られています。落ち着いた方を残したのだろうと理解しました。

 

そもそも、本来「ごめんなさい」を伝えたい相手は「毒親に苦しんだ人たち」だったはずです。

その相手に、「剥き出しの感情をあらわにする親」の姿を見せるのは、伝わる表現方法だったのか。むしろ余計な地雷を踏みにいってないか。

やりたいこととやるべきことが食い違っていた動画だと思いました。

 

毒親動画。

非公開にしたこと自体は妥当だと思います。

修正なしで公開していては、同じ思いをする人の再生産が止められないから。

 

でも、コメントが消えてしまうのは、いけない。

 

コメント欄は荒れているように見えて、真摯な意見が並んでいました。

2週間にわたり公開されている間にコメントは増え続け、真剣な言葉のやりとりがあちこちで行われていました。

 

「毒親のどこがダメなのかわからない、教えてください」

当事者に対し素朴かつ残酷にも思える質問を投げる人もいたけど、

自らの傷跡を撫でて確かめるような筆致で、思いを静かに丁寧に返す人たちがいました。

 

黙ってなくすには惜しい言葉がたくさんあった。

 

公開から一日で低評価は6割、コメント数は600を超えていました。

異常には気づけたはずです。

その時点の再生回数ならまだ、コメントを残して動画をカットすることはできたはずです。

 

なぜ消すことでしか対処できなくなるまで放置してしまったのか。

混乱の中でつながりをみせていたいくつかの線を消すことに、ためらいはなかったのか。

 

コメント欄を開ければ、そこに場が生まれるのは必然です。

思いつきで口走った言葉ばかりではありませんでした。

心を砕き、時間をかけ、悩みながら考えて言葉を紡ぎ出していた視聴者さんのことも、大事にして欲しかった。

 

尽くした思いを蔑ろにされたとき、ひとは祟り神にもなります。

 

信者とアンチ。

視聴者を、そんな単純な2層に分断させている要因は、「消す」行為だとわたしは思います。