ママスタで得た概念「寄り添いハラスメント」。言い出した方素敵。
12人産んじゃった助産師さんは「世界中のママさんたちに寄り添い、助けること」を活動のテーマとされています。
妊娠、流産、出産、育児、離婚、シングルマザー、再婚、不妊治療、帝王切開、こどもの病気、思春期の反抗、さまざまな経験を重ね、装備し、さまざまなママさんたちに寄り添います。
でも寄り添うってなんだ?
経験ってなんだ?
今回はここを考えます。
例えば…のブログは数多あるけど、一つ紹介。
○○を経験したから…なんでしょう。
「寄り添う」言葉への違和感を指摘したnoteがママスタで紹介されていました。
「寄り添う」という言葉が嫌いだ
“それは「私は優しい人です」と自らアナウンスしているのと同義“
なるほど!確かに。
12人産んじゃった助産師さんの「寄り添い」への違和感。
私が最も感じたのは、離婚後に危機を迎えた思春期のお子さんたちへの対応でした。
離婚し、きょうだいは2つにわかれ、転居転校。
生活を支えてくれるのは母親の仕事のパートナー。いずれこどもたちも同居を強いられることになる父親ではないおじさん。
荒れたこどもたちに、「こんなに愛してるのに!」寄り添い続けるお母さん。
生活を支えてくれるおじさんと2回の流産と不妊治療を経て子を成しながら、同時進行で、寄り添い続けるお母さん。
寄り添うってなんでしょう。
自分がこどもを愛していれば、焼け火箸を当てながらでも、密着し続けるのが寄り添うってことなんでしょうか。
寄り添うって、むしろ「わかってる、ここにいる、でもあなたが望むまでなにもしない」ということだと思っていたけれど。
ぐぐったら「寄り添うこと」そのものを理念としている看護学校がたくさんありました。
看護師さん助産師さんの「寄り添い」字義は、私の思うそれとはそもそもかなり違うみたいです。
でも、対象と溶け合うことでようやく「寄り添う」ことと、
客観性と自己を保ちながら対象の痛み苦しみの存在を認め、「寄り添う」ことには大きな違いがあります。
助産師さんのお子さんたちへの「寄り添い」は、そのどちらにも届かないものだったように見えるけど。
医療職の方に期待される「寄り添いの力」は、後者であって欲しい。
前者のように溶け合うことは、経験者であれば容易です。
特に「経験者の声しか届かない」という時空にいる人に対しては、「同じ経験をした」人の言葉は光となり導きとなります。
瞬く間に一体化することが可能なチートルートです。
助産師さんが子を待つ人や産前産後の方たちに強く深く支持されている、大きな理由の一つだと思います。
ただし、だからこそ、共依存に陥らない客観性が必要です。
それに経験の中でしか通用しない。
同じ経験をしてもそれぞれ違う人間、違う背景、違う感情がある。
そこを「経験してますわかるわかるー」で寄り添ったつもりが押し付けてしまう時に、寄り添いハラスメントが起きるのでしょう。
プロフェッショナルとは、重なった経験の有無に関わらず、対象の痛み苦しみを認め、対象を信じ、自分を失わず忍耐強く「黙って寄り添える」人だと思います。
「経験値」を武器にするのは、プロフェッショナルとしては悪手じゃないのかな。
経験値は自分が地に足をつける力としてうちに秘め、どんな経験をしたかを声高に語ることもない。
それがプロフェッショナルであり、成熟した大人の姿じゃないかな。
と思います。
そうでなきゃ、がんサバイバーでなきゃがん患者に寄り添えないことになっちゃうよ。
