12人産んじゃった助産師さんによって消された動画はいくつかあります。
「13人目が欲しい」はもうどうぞご自由に、ただ病院には迷惑かけないでねなんですが
(なんでかそれが表現変えて再投稿されたりしてますが)、病院批判やアウティングを黙って消して終わりとするのはあまりにもまずい。
ブランド構築イメージ戦略には一家言ありそうな、ビジネス手腕確からしい現旦那さんもついていながらどうしたことか。
ずっと不思議でした。
助産師さんは、「謝る」と言う行為について、強いこだわりと抵抗がありそうです。
こんなブログがありました。
3行でいうと
幼児を無理に謝らせたところで、恐怖心や反抗心を植え付けるだけ。
その言葉を頭押さえつけて無理やり言わせなくていい。
悪いと感じている様子さえあるなら、謝る姿勢は親が見せてやればいい。
とまとめられると思います。
それはそうなんですが猛烈なモヤモヤが残るので細かく突っ込みます。
ここです。
幼児に実のないごめんなさいを強要することで訪れる未来。
そして、彼らが思春期を迎えるころ、
恐怖の反抗期は忍び寄ってきます・・・。
反撃する体力と知識を備えた子どもは、
昔、ママに怒られたのと同じ方法で
ママを攻撃するようになります。
「謝れや!!!」
「親は全部正しいんか!」
「大人なんかたいしたことあらへんやんけ!」
子どもに『謝れ』と言われて、
「ごめんなさい」と、頭を下げることが
どんなに難しく、屈辱的なことか・・・。
謝れと言われて、謝る道理があれば、相手がこどもだろうが誰だろうが頭を下げることに屈辱も何もないです。
それはそうだった、あなたの言う通りだ、ごめんなさい。
それだけです。
だから、
11人産み、
思春期の子どもたちを育てている
今だから言えること、
それは、小さな子どもたちに
「ごめんなさい」を強要してはいけない!
ということです。
この結論は。
ちーがーうー。
わけも聞かずに「ごめんなさい言え」はないけど、わけがわかって、謝る道理があれば、そこは「ごめんなさい」言わなやろが。です。
謝罪は屈服ではありません。
「ごめんなさい」は、「今謝っている私は、あなたへの敵意を持っていません」という意思表示です。
「やってしまったこと」に対して「悪気は無かった」というのとも違います。
やられた方にとって悪気の有無はあんまり関係ない。やった方の言い訳にすぎない。
「今、わたしの行いによってあなたが感じた苦痛や悲しみを理解しています。これ以上、わたしはあなたの苦痛や悲しみを増やそうと思いません。わたしはあなたに敵意を持っていません」
これを5文字で表現するのが
「ごめんなさい」です。
謝るあなたのプライドを破壊するものではありません。
だから、助産師さんも、謝ればいいと思うよ?
当事者には既に謝っていると思いたいですが。
動画のコメント欄に勇気を奮い心を込めて紡いだ言葉、その思いまでも一緒に一方的に消されてしまった視聴者の皆さんには、せめてことの経緯は説明されてしかるべき。
「育児の学校」の先生には、とても大切な姿勢だと思います。