助産師さんはLGBTについて熱い想いを抱いています。
このブログでの考えを、動画や講演でも語っています。
人を好きになる、その感情が素晴らしい。それでええやん。
性的マイノリティに対する
周囲の人たちの偏見や思い込み、
間違った理解や決めつけに苦しむ人たちの
多様性が広く受け入れられるようになると
いいなと思います。
本当にその通りです。
でも、助産師さんは、まだ世界が多様性には程遠い事を知りません。
自分が放棄している「プライバシーの権利」は、みんなにも不要だと思っているかもしれません。
地方の学校で、助産師さん夫婦は「いのちの授業」を行いました。
LGBTに触れました。
悩んでる人は、話を聞くよ!と優しく楽しく言います。
自分は異常なんだろうか・・・って
誰にも相談できずに苦しんでいる彼ら
が、その日も相談に訪れました。
夫妻は明るく受けいれ、勇気づけます。
それからしばらくして、「誰にも相談できず苦しんでいること」は、チャンネル登録29万超えのYouTuberの手によって、予告なく配信されました。
顔を出さず声を変えていても、自分が話す様子をそんな形で目にしてしまった子供の衝撃は、
どこのだれともわからない人に何万回と再生され見られている恐怖は、察するに余りあります。
「誰にも相談できず苦しんでいること」は、学校の先生にも、相談直後に「LGBTでした」と決めつけて報告されていました。
知っている人なら学校はわかります。その場にいたクラスメイトにとって、「相談者は誰か」の当てっこはこれ以上なく楽しい残酷な遊びです。
YouTubeの公開に際し、事前に了解を得ていたのかと尋ねるコメントを書いた視聴者は次々とブロックされました。
中学生の心の危機を懸念する声も寄せられていた中、動画は公開されたまま、更に相談シーンのみを再編集した動画が公開されました。
「実録」と、センセーショナルな単語を添えて。
「誰にも相談できず苦しんでいる彼ら」は、YouTuberのネタとして消費されました。
動画は数日後にどちらも非公開となりました。
学校、子供達、保護者、全員の了解を満足に得ていなかったようです。
コメントの指摘は無視されましたが、生身の声は届いたのでしょう。
このことについて、助産師さんはその後なにも触れていません。
現実に何が起きたか知るよしもありませんが、ネットの世界ではただ動画が消えただけ。「なにもなかった」ことになりました。
アライーのような顔をして、主張だけを短く動画でだしなおしたり、
人の手紙を使ってこんなブログに書いたりしています。
言っていることは正しい。
でも「恥ずかしくないよ!だから隠すこともないよ!ほらみんなー!LGBTだよ!苦しんでるよね!かわいそうだね!でもどこにでもいるんだよ!さべつしちゃダメだよ!」やったのは、こんなことでした。
そもそも助産師さんにはLGBTを診断する力も権利もありません。
職業柄その悩みに触れる機会があるなら、本人に対しできることは、求められるなら話を聞き、困難に陥ったとき頼るべき「適切な窓口」の情報を伝える。ここまでです。
その窓口は助産師さんではありません。
多様性が広く受け入れられるようになると
いいなと思います。
でも、そのためなら踏み躙っても良い人権など、存在しません。
気がついてませんか?踏んでますよ。
助産師さんをずっとみていて絶対的に不足していると感じるもの。
人権意識です。