倉谷先生のこのご著書。
アマゾンのレヴューを見ると辛口があるのですが、情報を発信する側としてはいつもこのような批判はつきものなのだろうと思います。
(突っ込むのが好きな人もいますしね)
次のような内容があります。
小学二年の妹にも
高校ではM先生に、英語のロジックの面白さを、とっくりと教わりましたもので、英語の文をみるたびにいまだに棟がワクワクするこの楽しさは、先生のおかげです。
一行の英文は一巻の推理小説に勝る、ということを確認するのが、毎日の授業でした。
「小学校二年の妹にもわかる日本語に訳さなアカン」というM先生の口ぐせは、今、大学で英文学講読などと大層な題目でやっているボクの口ぐせでもあります。
(『英語上達法』P26)
私の高校の英語の先生の思い出は、入学したての頃、教室の前の方に座っていた私は、授業がいつ終わるのか気になり、隣の女学生に「今何時?」と小さな声で聞いたら(私は腕時計は持っていませんでした)、そのようすを見ていた英語の先生(そう言えばこの先生もM先生でした)に「お前、もういつ終わるか気にしてんのか?」と授業に集中していないことを皮肉たっぷりに言われたことを思い出しますが、学校では先生の影響は大きいですね。そして倉谷先生はいい先生と出逢われているようです。
もっとも、私のこのM先生も素晴らしい先生で、この先生のおかげで英語が好きになり、スター・ウォーズの原書を読むようになりましたし、その後中国語も学ぶようになったのですから、私も幸せです。
それはさておき、小学校二年生の妹にもわかる日本語の訳すとは次のようなことだそうです。
「社会は君のその行動をけっして寛容しない」などと学生が訳すと、「それで世の中わたってゆけると思うと大まちがい」ぐらいの訳が出るまで、いじめぬくのです。
(『英語上達法』P27)
「いじめる」
中国語では“欺负”ですが、先生というものは学生をいじめることでその学生を育てるという一面があるのかもしれません。
私の大学の中国語の先生も、いつも皮肉たっぷりで、いじめられましたがそのおかげで天狗になることなく、今も中国語を学び続けることができると思います。
「社会は君のその行動をけっして寛容しない」
は、直訳ですね、そして、それを自然な、日本語を母語としている人がその文化的背景を踏まえて、日本語らしい日本語の、
「それで世の中わたってゆけると思うと大まちがい」
にしなければ日本語にしたことにはならない。
この本、この一文の紹介だけで読む価値があると思います。
翻訳というものはそういうものだと思います。
翻訳の例としてもう一つ、次のような例もあります。
The knowledge of his absence made her feel at home.
読者はどう訳しますか?
「彼の不在の知識が彼女を安楽に感じさせた」
でしょうか?
倉谷先生は次のような日本語を紹介されています。
「きょうはあのひといないんだなあ、とおもうと、きもちがおちついた」
漢字をつかっていないのは、倉谷先生はやまとことばで表現されているからで、このあたりも私も強く同感しますが、これが「日本語らしい日本語」だし、「小学校二年生の妹にもわかる」のではないでしょうか?
そして、このような翻訳は機械翻訳にはできないのではないかと思うのですが、それもさておき、中国語もこのように「小学校二年生の妹にもわかる日本語にすること」を考えると、とても楽しいと思いますし、そうすることで中国語と日本語の表現の仕方の違いがわかり、それが中国と日本の友好につながると思うのです。
そして、何よりこんな風に訳すことを考えると、楽しいではありませんか。
ね?この本は英語というか外国語を学ぶ楽しさも教えてくれると思うのです。
是非、読んでみて下さい。
そうそう、倉谷先生は次の本も出されています。
NKの新・英会話上達法―ネット時代に還ってきた
Amazon |