「教えること」について | SC神戸中国語スクール 京都校

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大学生の頃は、実家の近所の補習塾で講師をしていました。

大学を卒業してからは中国語で仕事をするようになったのですが、商社から製造業に変わり、通訳をするときもだいたいは「教えること」が多かったのです。

そして、この十数年は中国語を教えたりもしていますが、「教える」というのは本当にむずかしいと思うのです。

 

「教えること」ってとても気持ちのいいものです。

 

人が知らないことを自分は知っている。という優越感を感じることができます。

ですから、「先生」と呼ばれると本当は何も偉くなくても偉くなったように思っちゃって、成長が止まる。ということもよくあるのですが、

 

「先生と呼ばれるほどのバカでなし」

 

“我还没蠢到被人唤作先生而自得的地步。”

 

とはよく言ったもので、講師は常に心しなくてはならないことだと思うのですが、それはさておき、アドラー心理学の「人生の意味の心理学」の三ヶ国語表現の比較が終わりました。

(まずは一通り)

 

アドラーは平和な世界を作ろうと思っていたようですが、それは政治ではなく、子どもの教育が大切だと思っていたようです。

 

そのアドラーが子どもの教育について(性についてのことなのですが)次のように言っています。

 

鍵は、子どもに決して嘘をいわないこと、質問を避けないこと、質問の背後にあるものを理解すること、子どもが知りたいと思っていることだけを、そして、子どもが理解できるとわれわれが確信することだけを説明することである。

(『人生の意味の心理学』岸見一郎訳、下P152。)

The key to helpfulness is never to lie to a child, never to evade his questions, to understand what is behind his questions, to explain only as much as he wishes to learn and only as much as we are sure he can understan.

(What Life Should Mean To You. EDITED BY ALAN PORTER P270.)

 

关键在于,不要对孩子撒谎,不要回避他的问题,而是要弄明白他所提的问题背后隐含了什么;并且只解释他希望知道的事情以及我们确信他能理解的事情。

(“活出真正的价值12堂必修课”,汪洪蓝译,P232。)

 

「子ども」を「生徒」や「受講者」に、「われわれ」を「講師」「教える側」「先生」と置き換えると意味が深いことがわかると思います。

 

子どもや受講者に対して嘘を言うなんてとんでもないことですが、これも気をつけないと、自分の知っていることをしっかりと検証せずに、ただ知っているからということで言うと、これが嘘だったりします。

「教える」側はいつも嘘を言わないことを意識しなければなりません。

 

「質問を避けないこと」については、「教える」側は「教えること」が気持ちいいのでまずないでしょう。

 

「質問の背後にあるものを理解すること」

 

これはとても大切です。

受講者が何を知りたいのか、なぜそのことを知りたいと思っているのかまで突っ込むことが必要です。

そしてそれはたいてい質問者が意識していないことです。

質問者はたいてい、「わからないから質問する」のですが、教える側は、受講者がなぜこの質問をするのかについて、その背景をも理解しようと努めるべきでしょう。

これができて初めて「教えること」ができる。いえ、説明したり質問を受けたりすることができるのだと思います。

 

「子どもが知りたいと思っていることだけ」そして「子どもが理解できるとわれわれが確信することだけを説明すること」

 

そうなのです。

「教える」というより「説明する」のですが、その内容は「受講者が知りたいと思っていることだけ」で「受講者が理解できると確信することだけ」なのです。

 

「教える側」は自分を失い舞い上がっていることがあるので、自分の知っていることをどんどんしゃべる傾向があります。

それこそ快感なので際限なくしゃべるでしょう。

でもそれは;

 

おせっかいででしゃばりな情報は大いに害を与える。

 

Officious and intrusive information can cause great harm.

 

多余的性知识会造成很大的危害,

 

のだと言います。

 

アドラーが幼児教育で大切にしているのは;

・独り立ちできること。

・人間社会にとって役に立つようになること。

 

です。

 

「独り立ち」

 

これは外国語学習でも大切なことです。

 

本来なら講師は「外国語のその人なりの学び方」を説明したらそれでよく、一日も早く独り立ちしてもらうようにすべきだと私は思います。

そうでなければ、いつも受け身で、説明されなければ自分で考えることができない人間になってしまいます。

 

「自分で考える力」

 

これをつけていただくのが講師の役目だと思います。

 

アドラーは続けて;

 

人生のこの課題においては、他のすべての課題のように、子どもが自立しており、質問することで知りたいことを学ぶことがよりよい。

もしも子どもと親の間に信頼があれば、子どもは害されることはない。

 

In the problem of life, as in all others, it is better for a child to be independent and learn what he wants to know by his own efforts.

If there is  trust between himself and his parents he can suffer no injury.

He will always ask what he needs to know.

 

因此这个问题和其他人生问题一样,最好让孩子掌握主动权,他想知道什么,我们再回答他什么。

假如孩子和父母彼此信赖,他就不会受到任何伤害。

 

「知りたいことを学ぶ」

 

これこそが学ぶ楽しみでしょう。

 

おせっかいででしゃばりで、自分の快感で自分の話したいことを話すことを聞くのは全然楽しくないと思います。

 

もともと、それまで知らなかったことを知る。というのはとても楽しいことのはずです。

 

もっとも、講師の世界には講師の世界のむずかしさがあり、講師派遣会社が受講者に定期的にアンケートをするのですが、満足度が普通ではダメなのです。

満足していただかないと講師落第となりますので、アドラーのような教える。というより、受講者が知りたいことを説明する。というようなやり方ではすぐに講師落第になるでしょうね。

 

でも、落第でもいいのです。

 

最後に緒方洪庵の「芙氏医戒之略(ふしいかいのりゃく)」にある医師の12戒を自分のために挙げます。

 

1.医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらず
⇒学問は、世のため、人のためにする。鉄道が好きだとか、名誉を得ようとか、金が欲しいとかはダメ。
3.其術を行ふに当ては病者を以て正鵠とすべし。
⇒学識をもって判断するのではなく、現場に学ぶことが大切
4.学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし。(略)詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥るところなり。
⇒目立とうと奇説を唱えてはいけない。住民から信頼されることは、社会科学者の責務である。
7.不治の病者も仍其患苦を寛解し、其生命を保全せんことを求むるは、医の職務なり。棄てて省みざるは人道に反す。たとひ救ふこと能はざるも、之を慰するは仁術なり。
⇒困っている地域があれば捨て置けない
9.世間に対して衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも、斎民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし。
⇒個別の地域だけではなく、世間から認められねばならない

(森栗茂一のコミュニティ・コミュニケーション、緒方洪庵「世のため 人のため 国のため 道のため」より)

 

自分を磨くということですね。

まだまだ青い私でした。