カット 子どもの絵の教室父の日コンクール金賞日吉小4年小野かほり
夜話 1342 「大隈言道」と「クレオメ」
「十四代酒井田柿右衞門」の死のショックに食事もままならぬ日が続いているとき 主治医のB先生から「大隈言道関係書を届ける」との電話
先生は当方が車を所持しないことを御承知
昼間雨が上がった
愚息が気をつかい車で出向いて関係書三冊を戴いた
「大隈言道」の代表的研究者の故桑原康靖氏は先生の妹さんの嫁ぎ先のかた
ショックから立ち直れというあの世からのお「酒井田・桑原」おふたりの先生の激励と感謝している
青木繁の絶大な庇護者だった八女市緒玉の梅野満雄により[大隈言道」は世に出たといっよい
この三冊により柿右衞門の訃報からたちなおるぞ と自分に言い聞かせていたら B先生は其の決心を後押しするように手づくりの「クレオメ」の花を一鉢くださった
庭の井戸のそばには もともと紫陽花を植えていた
去年の夏それを他に移し代わりに夏の花「ムクゲ」を植えた
縁側で庭を眺めて日々をすごす病妻にとつて一日花のムクゲはさびしかったに違いない 不満をもらした
さて夏に花咲くものはと考えているときB先生のご厚意
早速妻の目に入る庭前に鉢を置いた
スックと一メートル近くの「クレオメ」の花は わが庭に素敵な彩りをもたらした
大隈言道については折々夜話するつもり
老生が言道の幅を所持していることを御存じだったB先生は桑原家訪問を誘われた そのときは所要のためご厚意にかなわず そのご桑原先生は亡くなられた
「大隈言道」については恩師坂本繁二郎も好意を示されたことがあった
言道は『草径集』という歌集を遺している 坂本は『小逕』を雅号とした 「草径」と「小逕」は同意である
言道には
「うすぐもる月のありかは見えながら手をだにささぬ程ぞ侘しき」がある
坂本は晩年『月』を連作した 絶筆は『幽光』である
なによりも青木繁と坂本の間に毅然として大隈言道研究家でもあった歌人の八女びと梅野満雄が存在している
「大隈言道と坂本は無関係ではない」と与えられたチャンスを柿右衞門死歿の悲しみから立ち直る機にしたい
そんなこと考える目前に 梅雨に花咲く「クレオメ」がある
B先生深く感謝申し上げます