夜話 1341 柿右衞門逝く その六(建碑) | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 1341 柿右衞門逝く その六(建碑)


八女市の平成十四年度当初予算に建碑予算額七十万円が組まれていた 

それまで毎年のように「八女市・本町筋を愛する会」が文藝碑を建立していたので目的は決まっていなかったが予算を用意していたもの 

つまり早く建碑計画を立案し申請した団体に補助金を交付するという 


早速酒井田住の樋口孝氏に『八女と柿右衞門』とのかかわりを明確にするための建碑を薦めた 

樋口氏は先祖が酒井田氏の家臣であり縁戚にもなる 酒井田きっての名門 

曾祖父樋口和堂は明治期郡内きっての学者 酒井田家が滅亡のあとの氏神長田丸宮天満宮を個人で祀っている 

早速五月二十四日 『酒井田氏一族発祥之地設立委員会」が発足し

「碑設立委員会長入部五郎」氏の名で『補助金交付申請書』をつくり八女市に提出した 

それらの提出書類は過去の建碑についての形式をまねて老生に作製が依頼された 

地元関係者からの寄付金五十万円が用意され合計百二十萬円の予算額である
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委員会規則も決定し名誉会長に十四代柿右門を決定 

入部会長の先祖も酒井田一族の武將 

建碑場所は長田丸宮天満宮の境内と決まった

前夜話で語った酒井田氏の氏神の社地は圃場整備のため北に移転していた この社を移転するに当たっては樋口孝氏の個人的奮闘があつたと聞いた 

建碑場所としてこれ以上の場所はない 

『酒井田氏一族発祥地』 の碑文字は十四代が書くことにきまった  碑の裏面には『酒井田村館跡 村ノ東北ニアリ 其地ヲ長田ト云 酒井田氏代々ノ館跡ナリ 時俗長田殿ト称シツト也 門縱今尚存ス 長田丸宮天満宮ハ其鎮守ノ神社ナリキト云 社地村東ニアリ』と刻まれた これは『筑後將士軍談』から引用したもの 

碑のそばに前夜話の小学国語読本の『陶工柿右衞門』の焼きつけ陶板も建てら それに並立して佐賀の柿右衞門邸の柿の木の子樹が移植された 

平成十四年十月十三日 十四代以下関係者出席のうえ地元三河小学校生徒の手により除幕された

其のときの十四代柿右衞門の満面の笑みが忘れられない

写真は除幕式のとき十四代柿右衞門と

(敬称略)