夜話 1340 柿右衞門逝く その五(本家と会見) | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 1340 柿右衞門逝く  その五 (本家と会見)


久留米の酒井田計雄家に「筑後酒井田家系図(以下家系図)」があった

その写しをみて前松嵜英一八女市文化財専門委員は「系図は江戸初期あたりに書きあらためたものらしい」と解読した 

夜話1336でふれた『柿右衞門』には邉春城合戦は天正十年と説明している

しかし同書に写真引用している上記「家系図」には天正三年とある 

確たる自信がないのでここでは両説のあることのみを指摘しておく

(松田修氏も『日本芸能史論考』でこれを指摘している)

『家系図』は 邉春城合戦で肥前竜造寺軍に敗れ酒井田壱岐守と長男吉連がともに戦死した そのころ酒井田氏は大友氏の配下にあった


この系図は辛くも生き延びた次男の少輔太郎家の家のものである 


その末席にある酒井田計雄夫妻と佐賀の酒井田柿右衞門との初面談を老生は計画した 

その経緯を記述する
平成九年五月二十五日午後に 八女市主催の『酒井田柿右衞門講演会』が開催されるのを知った

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市の催し前のひと時を利用して 久留米の酒井田計雄夫妻と十四代柿右衞門の対面を計画したのである 

講演会よりもこの対面の方が意義がある 

 

面会は五月二十五日午前十時より 

場所は八女市の文化施設「堺屋」はなれ座敷 

出席者は十四代酒井田柿右衞門 酒井田計雄夫妻 樋口孝氏 と老生計五人 

計画が漏れると無になる恐れがあった 

午後からの講演会の影が薄くなると市係員は この計画をぶち壊す恐れがあった 

市役所の職員一切にコッソリと計画した 

酒井田を名乗る両家当主は心からこの計画を喜ばれ賛同された 

かたい握手で対話が進み 十三代と計雄氏の父君との交流話や机上にひろげた古文書の解説などに話が弾んだ (上)

同席を願った樋口孝氏は 酒井田家の先祖と縁戚の子孫 八女市酒井田居住者で 酒井田家の氏神 長田丸宮天満宮を個人で鎮っている 


この席でも十四代は計雄夫妻を『本家』とよび 常に温和な笑みで終始した 

想い出深い会見だった 酒井田窯の岩崎支配人と愚妻が賠席した