夜話 1339 柿右衞門逝く その四 (古文書)
平成九年の初夏のころ 久留米市東櫛原の酒井田氏家に『酒井田柿右衞門』の先祖に関する古文書があることを知った 酒井田という珍しい姓が久留米にただ一軒あることの疑問が端緒だった 訪ねたところ 酒井田氏の家系図のほか数点の古文書があった
早速 佐賀の「柿右衞門窯」にそのことを連絡したところ 真鍋支配人から調査してくれとの依頼があつた
当時八女市の文化財専門委員をしていたので その肩書で久留米の酒井田氏と折衝した 同氏は当方の言い分を率直に理解し 関係文書の貸与にも応じてもらつた
借用書などを提出して全資料のコピーも許された
ところが当方は其の解読などは出来はしない
そこで古文書解読に堪能な松碕英一専門委員に解読してもらつたところ一部は既に解読され『酒井田氏文書』として『稿本八女郡史』(大正六年刊)に登載されていた事が分かったが 同誌には誤読が多かった
松碕委員の解読で其れらが正された
大友義統より遺族の酒井田少輔太郎あての感状があった (上)
内容は「父親の壱岐守統連と長兄一家が邊春城合戦のおり親子一族命をすてて戦ってくれたことへの感謝の言葉と その功に報いるために領地を授ける」というもの また一族の功績をたたえ少輔太郎に義統の一字「統」を授ける文書もあった(右)
当時各新聞がそれを報じた
久留米市に文化財として指定することを希望したがた実行されなかった
十四代柿右衞門はこれらの文書の散逸を予測し礼をつくして入手の斡旋を老生に依頼されたが それは各種理由により果たせ無かった
柿右衞門はいつも久留米の酒井田家を本家と言つて大切にした
ここにも亡くなった十四代の温かい心を察することができる(敬称略)