夜話 1337 柿右衞門逝く その二 (陶工柿右衞門) | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 1337 柿右衞門逝く その二 (陶工柿右衞門)

 

戦前り小学五年生後期の文部省発行国定教科書『尋常国語読本巻十                    

         『陶工柿右衞門』 

窯場から出て来た喜三右衞門は、縁先に腰を下ろして、つかれた体を休めた 日はもう西にかたむいている ふと見上げると 庭の柿の木にはすゝ゛なりになった実が 夕日を浴びて珊瑚珠のようにかがやいている喜三右衞門は余りの美しさにうっとりと見とれていたがやがて
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「あゝきれいだ あの色をどうかして出したいものだ」

とつぶやきながら 又窯場のほうへとつて返した

日頃から自然の色にあこがれていた彼は 目のさめるような柿の美しさに打たれて もう立つても居ても居られなくなったのである

喜三右衞門は其の日から 赤色の焼付に熱中した 

しかし いくら工夫をこらしても目指す柿の色の美しさは出て来ない

毎日焼いてはくだき焼いてはくだきして歎息する彼の様子は 実に見る目も痛ましい程であった

困難はそればかりで無かった 研究の為には少なからぬ費用もかゝる

工夫にばかり心をうばわれては とかく家業もおろそかになる 一年と過ぎ二年とたつうちに その日の暮らしにも困るようになった

弟子たちも此の主人を見限って一人逃げ 二人逃げ今は手助けする人さえも無くなった

喜三右衞門はそれでも研究を止めようとしない ひとはこの有様を見てたわけとあざけり 気ちがいとっ蔑しつたが少しもとんじやくしない

彼の頭の中にあるものは唯夕日を浴びた柿の色であった
こうして五、六年はたった或る日の夕方 喜三右衞門はあわたゝ゛しく窯場から走り出た

「薪はないか 薪はないか」
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彼は気がくるった様にそこらをかけ廻った そうして手当たり次第に何でもひつつかんで行つては窯の中へ投げ込んだ

喜三右衞門は血走った目を見張ってしばらく火の色を見つめていたがやがて「よし」と叫んで火を止めた 

其の夜喜三右衞門は窯の前を離れないでもどかしそうに夜の明けるのを待つていた 一番鶏の声を聞いてからはもうじっとしては居られない胸をおどらながら窯のまわりをぐるぐる廻った

いよいよ夜が明けた 彼はふるえる足をふみしめて窯を開けにかゝった朝日のさわやかな光が木立をもれて窯場にさし込んだ喜三右衞門は一つ又一つと窯から皿を出していたが不意に「これだ」と大声をあげた

「出来た 出来た」

皿をささげた喜三右衞門はこおどりして喜んだ こうして柿の色を出すことに成功した喜三右衞門は程なく名を柿右衞門と改めた

柿右衞門はいまから三百年ばかりまえ 肥前の有田にいた陶工である彼はこののちも尚研究に研究を重ね工夫に工夫を積んで世に柿右衞門風といわれる精巧な陶器を製作するに至った

柿右衞門はひとり我が國内において古今の名工とたたえられているばかりでなく その名は遠く西洋諸国に聞こえている


(かなづかいをあらためた 不適当な文言も 当時の資料としてそのままにした):  下は国語読本の挿し絵