夜話 1336  柿右衞門逝く その一(訃報と十三代) | 善知鳥吉左の八女夜話

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    夜話 1336 柿右衞門逝く その一 (訃報と十三代)

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                         西日本新聞H25・6・16

御井町の幼稚園の保護者会の依頼で「子どもの絵」について講話をした そのさい 十四代酒井田柿右衞門さんの『美』意識にっいての想い出話しでしめくくり 帰途に就こうとしたら 園長が駈けて来て「電話があった佐賀の柿右衞門さんが亡くなったそうです」と 愚息の電話だったよし 直前にふれた『柿右衞門』の話と訃報とが重なり 呆然となった
善知鳥吉左の八女夜話 六月十五日午前八時四十五分の死去だったとか
 

帰途のバスのなかで亡くなった十四代の温厚な風貌と先祖の地八女市酒井田についてお互いにかわした いろんな話が思い出され涙があふれた

想い出したことを之から綴ってみる 

八女市酒井田が柿右衞門の故地ということは おぼろげながら知っていた 

教えてくれたのは初代市長中島一之だつた 八女市職員のはしくれ昭和三十年のことだった 五十八年ぐらい前のこと 

或る日郡立八女図書館にいったら当時の市村館長と井上農夫氏が話していた 井上氏は「三上卓」の名で『高山彦九郎』を書いた郷土史家井上氏は突然「君も同行してくれ いま佐賀の十三代酒井田柿右衞門がくる 先祖の故地調査のため 佐賀県の職員もくるので」とのこと 

戦前の国語読本巻十で『陶工柿右衞門』の名は知っていた 

彼の姓と一致する地名が それも珍しい地名が八女にあることはかねて気になって居たこと 早速参加させてもらった 

十三代らのタクシーを自転車で追いかけた 

いま記憶にあるのは 酒井田の梨畑のなかに数個の礎石のあったことと酒井田家の氏神 長田丸宮天満宮を訪ねたこと 案内したのは

酒井田家先祖とゆかりのある樋口孝だったと思う 

貧乏役人のかなしさ カメラを持っていない そのときの写真資料がないのが残念の極み 

そして昭和三十ニ年金華堂により そのときの調査資料などを元に『柿右衞門』(右)が刊行された 右の三百五十ページにおよぶ高価な大冊だった 
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この本により八女市酒井田と佐賀の「柿右衞門釜」との初めての結びつきがあらわになった 

この本に若干の資料解読の誤りがあることに気づき いらい退職してからも資料解読に務めた 

八女市広報の『郷土と人物』連載の依頼をうけ昭和四十六年十二月号に『酒井田円西と陶工柿右衞門』を書いた これが市民あてに初めて発表された「酒井田一族と八女市とのかかわり」だった 

これを基にして八女市教育委員会は平成十六年一月『酒井田柿右衞門物語』(右)を発行した 

そのさい教委の依頼で全文を受け持った その内容は夜話275276277278 ですでに発表している 

つづき (敬称略)