夜話 1335  子ともの絵をどう見るか その三 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 1335 子どもの絵をどう見るか その三 


この絵はニ年生の「雨ふりの通学」全日本こども美術展受賞作品
善知鳥吉左の八女夜話 前回の絵は幼年期のものだったから父の周りに空白があつた 

しかしニ年生になると周りについて知識が身についた 

いろんなことを知るようになった

真ん中の大きい子は自分 前の二人は友人 

雨中の通学 ちびっこは一年生だろう 後ろも友人 吠える犬もいる それぞれの足の表現に違いがある 

見送っている父もいる そして通学路の向う側の家も描いている 

ドシャブリの雨は灰色の道に水たまりを作っている

すべて自分の経験を凝縮して描きあげている もう空白はない

しかしこの絵は写生画ではない 経験を思い出して描いた絵である 

土砂降りの雨のなか学校に行くのがたのしく嬉しかったに違いない 

嬉しい経験が強く想像力に結びつく

その想像がこのドラマチックな絵として再現した

「絵は塗るモノ」と思っている子にはこんな複雑な表現は出来ない 

子どもらしい劇的経験があるからこそ 想い出すものも劇的に激しい 

それに喜びもついてくる 

やがて三年生になれば写生力が何の抵抗もなく身につく 

塗り絵を続けていた子はこの辺で駄目になること間違いなし

写生は先ず自分で形を描かねばならぬ 

塗り絵には他人が描いた形があったしかし今それはない 

自分個人が描かねばならぬ 其れが出来ぬようにしたのは 親のひとこと「白い所がないように 色を塗りなさい」

繰り返す 絵は描くもの 塗るモノではない おわり