夜話 1333 子どもの絵をどう見るか  その一 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 1334 子どもの絵をどう見るか その一


十五年ほどまえ 画塾に通ってきた子がいま幼稚園長さん 

園児の保護者に「子どもの絵をどう見るか」という講演を頼まれた 

以下はその講演原稿の一部である 

説明資料として上げた:下の絵は今年度八女ユメタウン『お父さんの絵のコンクール』の受賞作品 八女市黒木町ふじなみ幼稚園児 六歳児

手を挙げたお父さんの顔の周りは空白で色がない これを見た大半の親は未完成と思う 

そして「白いところが残っている チャンと塗って仕あげなさい」と子どもに言う 

言われた子どもは「なに色で?」と問う 

「好きな色で 白く残っているところを゛んぶ塗りなさい 

白くのこしてはダメ」と云う それから子どもの苦難の色塗りが始
善知鳥吉左の八女夜話 まる 園児はパスで塗り始める 

親はのこった「白」の部分を完全に塗りあがるのを睨みつけている 

園児は悪戦苦闘する 園児は子どもである大人ではない 

空白を塗りつぶすのは大変なエネルギーがいる 

そしてとにかく白い空白がなければ「いい絵」になると思い込む 

やがてそんな子は小三ぐらいから「美術」から離れてゆく 上の文にある「塗る」は手偏ではない 手偏があるのは「描く」である つまり絵は「描く」のであって「塗る」ものではない 

幼児期の絵の最大の敵は『塗り絵』と称するもの 塗り絵で育った子どもは生涯悲劇である 写生が始まる小三ぐらいから絵が苦手になる 『塗り絵」はすでに他人の手によつて 形とられている 写生は自分で形とらねばならない それが出きなくなる 悲劇は幼児期の塗る作業から始まる

やがて思春期 

人生の一番だいじなとき「美」から離れる 街角で見る キンキラおねえちゃんになるのは幼時の「色」ぬりの成れの果て 

親の言った「しつかり塗りなさい」の一言がキンキラを生んだのだ 

五十年間 約千六百人の子どもを相手にしてきた 老生の責任ある答えはまだ つづく