夜話 1332 お控えナスって「樋口軒」 | 善知鳥吉左の八女夜話

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 カット  子どもの絵の教室  お父さんの絵 入賞 松尾渚沙 四年


夜話 1332 お控えナスって 「樋口軒」 

六月五日の西日本新聞一面は『「温泉」の看板問題あり』として筑後市船小屋の「グランドホテル樋口軒」などをやり玉に挙げた 

なにしろ法的に「温泉」という基準に達していないとのこと 

新幹線駅としても あまりぱっとしない「船小屋」そこのメイン老舗のホテルの事である 

昭和廿四年 ここに宿泊した昭和天皇はそのことご存知だったかなア 

なにしろ天皇宿泊というそのごの宣伝文句にはたしかに集客効果はあったはず 

なぜか新聞は知ってや知らずや そのことにふれてはいない なにしろ湧き出るものは鋼泉 それを沸かした恩泉 しかし当地ではまともな温泉がない 古くから温泉として営業しているところ 大正十年ごろ歌人若山牧水もここらで一泊し 悪口を書いている
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つぎに語るは はるか六十数年前のことである 戦後間もなくの昭和二十六年ころのこと

木造のおんぼろМ村役場の前に一台のタクシーがとまつた

中から帽子をかぶった妙齢の美女が降り立った そこまでは想像 

がたつく扉をあけて 美女が役場内に姿を著わしたこれから先は この目で見たハッキリした現実  村役場職員 一斉に中腰になった 

若かりしオイラは腰を抜かしそうになった 

美女はこの夜話で数回語った 長崎の「水雷久」こと「宮崎一家」の H子さんだったのである 

あわてて役場玄関まで ふっ飛んで 手をとって外に引っ張り出した 初めて手に触れた これホント

親分からの結婚話は決着つけずに八女に来て あれからなん年かと あわてて計算するありさま  

さては押しかけ花嫁かと咄嗟に思ったからである 

あわてるオイラを軽く いなしたH子さんは嫣然と笑を浮かべて「船小屋の良い旅館を教えてほしい あの温泉 胃にいいとのこと 一週間ほど利用したい」とのこと 

さあて その辺のこと 貧乏真っただ中のオイラはゴ存知ない 

そこで腹を決めた こりや村長に聞くが一番 H子嬢を外に あわてて役場内に引っ返した 職員一同あっけに取られていた 

何しろタクシ―での美女のお出まし それに訪ねられた相手は 仕事のできぬ 酒が呑めぬ 絵描きの問題職員  

ひとり ニヤニヤしていたのは中島一之村長 このひとやがて初代八女市長になる傑物

あわてて 弁解し教えを乞うオイラを見事に誘導尋問 「水雷久」から長崎での過去話 すべて聞きとった村長命令 「早退許す 船小屋の樋口軒には俺が連絡紹介する 貴公は野心をおこさず 終業時刻五時までに職場にかえること これは公務命令だぞ」 

村長さん オイラが一家を抱える経済力のなさを先刻承知の注告だった 飛び出すオイラに「がんばれゃ」と声かけたのは 今は亡き先輩職員大石哲郎さんだった 

車中 あれ以来の長崎の話が続いた 父君も宮崎一家もつつがなしとか 彼女と知り合った劇団「風俗座」は解散したとか 

当方の妹の死亡には泣いてくれた 字は違うが妹もH子 

会ったこともない妹の死に泣いてくれるとは 

そぞろ当方の血は騒ぐではないか 

船小屋 「樋口軒」は 旧八女郡きっての行政官中島村長のお声がかりで とびこみ案内役のオイラも下にも置かないもてなし受けた 

離れの一室が予約できた お茶を一服して「約束の勤務時間があるので」とイササカ辛い別れだった 

帰途のタクシーは待たたまま 旅館前でH子さんはタクシー代をはらってくれた

村役場に帰着したら すでに裏の八畳の間で恒例の酒宴が始まっていた そのころ何か事あるごとに酒宴が繰り返された 「雨がふる」とか「暑気はらし」とか 森羅万象 酒のタネになった 

安い役場職員の給料を承知の村民もそれを許した 

一番古参の職員Kさんチは酒屋さん なにかにつけての酒宴は 酒の呑めぬオイラには一番辛かった 

酒の不足分はアルコールで代用 これは八女保健所特配の予防注射用のアルコールである これをお茶で割ると酒かわりになるそうな  

オイラは衛生担当 業務にさしさわるが今日の一件で文句が言えないこと 役場先輩とくとご存知

村長いわく「約束守ったな それでよし」と好物の豆腐を口に乾杯ときた 

嬉しかったねェ村長のこの一こと

それからの一週間 「約束」をたてにした村長は一番苦手の戸籍の仕事を命じた できた書類はコヨリでまとめ 残業につぐ残業 お蔭で絵具代が稼げた コヨリは死語か?

そのこ゜H子さんからも 「水雷久」からの呼び出しも なにもなかった 

亡妹のことで泣いてくれたH子さんには申し訳なく思っている 

なにしろ家計は苦しく 絵も描きたいし 

そのご「宮崎組」も解散し H子さんも嫁ぎ先て亡くなったと 二年前 聞いた

あの世のH子さん 樋口軒に代わって 深くお詫びします 

 

お控えナスって 温泉宿の船小屋の樋口軒さんヨ  

スンマセンのひとこと イカガでゴザンス 

つい仁侠口調になったのは 騙した相手が「水雷久」の身内でゴザンしたから 

天皇さまはあっしらとは何のかかわりはありません どうでもヨゴザンスよ