夜話 463  坂本繁二郎は特攻隊員を描いたか? | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 463 坂本繁二郎は特攻隊員を描いたか?  


「坂本が描いた特攻隊員の肖像画が知覧の特攻記念館に飾られている}という話は五年ほど前に聞いたことがあった。

善知鳥は「それは何かの間違い」と一笑に付していた。

ところが三年前、鹿児島から久留米に転任したY新聞の記者がその写真をケイタイに撮って訪ねてきた。

観ただけで「坂本ではない」と否定した。記者にそのわけを説明した

①坂本はタメにする肖像画など描かぬ

②これは写真をもとに描いた絵。
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①については、「後世に残す」タメの絵は「隊員」に失礼になると思うのが坂本である

坂本は「自画像・母の像」以外 俗に言う「肖像画」を一切描いていない。

②については「隊員は膝のうえに短冊らしいもの持つている。つまりなにかの記念の写真をそのまま描いた油絵。写真をまねて坂本が絵を描くはずもない。

善知鳥はケイタイを見た瞬間、描いた画家がだれであるかが分かった。「今里龍生の絵」と指摘し左下の署名を拡大させた。そこには「龍生」という漢字のサインがあった。

今里は、篤実なひとで八女に住んでいて善知鳥らとともに坂本を囲む新人会員だった。戦中戦後の厳しい生活のタメに描いた似顔絵類が此の地方に多く残っている。

そっくり写真のように描くのが得意な画家?だった。

坂本が此の絵をみたら「これはではないと云ったに違いない。」と善知鳥は断言した。

似顔絵を「絵」と認めない画家としての格の違いである。


Y記者はすでにその「特攻隊員」について調査をしていた。

隊員の名は岡部三郎。その絵が知覧の記念館に入ったいきさつはY記者が調べていた。

参考にした岡部の写真も存在していた。

その写真をもとに今里か油で描いた肖像画が遺族の手にわたるとき八女の坂本の名が出て、それがそのまま記念館に伝わったものだろう。と結論づけた。
この話には続きがある。

今日、福岡県代表の西日本短期大学附属高校が甲子園で初戦に勝った。

その高校の在地は戦中時代は陸軍の竜ケ原飛行場で、岡部はそこから特攻として出撃したと聞く。

猛暑にボケた頭で綴る話ではない。後日涼しい頭のときその話はまとめる。(敬称略) 写真は絵のもとになった岡部三郎の肖像写真。