夜話  462 平林寺の黄檗僧独立像 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 462  平林寺の黄檗僧独立像


三年ほど前、大津で満洲奉天二中の同期会があったとき、一日早く東京へ飛んだ。

友人のW君の病気を見舞うためだった。W君は岩槻市の病院に入院していた。到着まえに見舞いの許可を得ようとしたら、病院は許可しなかった。

気持ちの整理ができないまま、電車を乗り換え、武蔵野線新座の平林寺を訪れた。

松平信綱一族の墓のある禅寺である。そこに信綱との縁から安置されている独立の持仏と木像に逢いたかったからである

八女と独立のことはこの夜話12でふれた。
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平林寺内の戴:渓堂内には独立の持仏が安置されている。

持仏を守って独立の木像がある。弟子の深見玄岱の寄進によるもの。

木造の作者は不明ながら、善知鳥は玄岱にも好意を持っていた。

かれの書も独立の遺風を継いですぐれている。先祖はやはり明人。

玄岱の書を八女で数点観たことがある。かれも独立に従って八女にきていたかも?


平林寺は美しく俗気をはねつけていた。

広大な寺域内には売店がなかった。寺の見識が察せられた。

切符を売リ場の老人は 九州からの老人善知鳥に親切だった。

お茶をふるまってくれたりした。
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山門の字は、石川丈山と読めた。

八女出身の作家故中薗英助に優れた丈山の伝記小説がある。

ここにも八女と平林寺を結ぶかすかな糸を発見して嬉しかった。

独立の持仏と木像が安置された小堂は山門近く右手にあった。間口二間ぐらいの堂だった。戴渓堂という。

扉の桟越しに拝み、撮影した。厳しい顔の独立がそこにいた。

病む友人の恢復を般若心経にこめて祈った。
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寺僧の読経は遠くから聞こえたが ついにひとりの寺僧にも逢わなかった。

寺名にふさわしく鬱蒼と広がる雑木林が美しかった。

木陰に二、三組足を休める老人たちがいた。お互い頭をさげるだけのあいさつをかわした。

松平家の墓域も美しかった。

翌朝、同期会出席のために新幹線一番で京都に引き返した。次は奈良線の万福寺。ここに独立の墓がある。

墓地の様子は、同期のA君が既に地図まで付けて連絡してくれていた。

万福寺での独立の墓の掃苔録はのちほど。(敬称略)
上 平林寺  中  戴渓堂   下  独立像