夜話 464 北村西望の肉弾三勇士像
長崎の平和記念像は醜悪である。
先代の大関「朝潮」をモデルにしたような、筋骨隆々とした像から善知鳥は「攻撃」を感じても、「平和」は感じない。
作者は文化勲章受章の北村西望。
その北村は昭和10年ごろ、「肉弾三勇士」の出身部隊 久留米の工兵隊にあった「三勇士記念塔」の三勇士の像を作成していた。
北村の東京美術学校(芸大)教授時代。
当時出版された『久留米めぐり』という片ぺんたる案内書に記述してある。
また、中公新書 山室建徳著『軍神』にも。
両書には写真が掲載されていないので全貌は不明。レリーフだつたかも?
戦意高揚のための銅像類は、絵画よりも立体的迫力があったため、いろいろの作者が手掛けた。
しかし戦争末期の「金属回収運動」により破壊され国に献納され姿を消した。
久留米の「肉弾三勇士像」も写真を残して、姿を消した。
何時消えたか?それすら記録にない。
あれだけ全国国民に軍神として持ち上げられた「三勇士」を戦後無残にポイと捨てて 忘れている久留米人の軽薄さには腹が立つ。
北村の「三勇士像」もそうして姿を消したものだろう。
そのご、北村はこの像について何も書き残していないようだ。
「平和記念像」を語る量と同じぐらいの文があってもいいとおもう。
戦争協力画家への筆誅は多いが、彫刻家についてのそれはあまり目にしない。幸いにも作品が国策の「金属回収運動」で姿を:消したからか?
しかし今回、モノよりも文が強いとつくづく思った。
記録していた郷土の『久留米めぐり』に感謝する。
晩年、文化勲章を受章した北村の三勇士像についての文と写真について情報をお持ちのかたのご教示を待つ。敬称略
補記 北村の『三勇士』レリーフ像の写真が『久留米観光読本』に登載されていた。平成23年6月記録。