夜話 11 青木繁の指の骨
青木は遺骨を高良山の奥のケシケシ山の松の根に埋めてくれと遺言した。
そこに骨を埋めることで青木は、自らのロマンを完結したかったのである。
伝記作家も評論家も繁の遺言について真面目に追及していない。
「ロマンの旗手」ともて囃しておきながら自らその言葉に酔っただけだった。
わがままのなか、血を吐いて死ぬ青木の最後の願いのロマンの結末を見届けねばならない。
青木のロマンは誰が見届けたのか。
郷土史研究誌 昭和八年七月号「筑後」で梅野満雄が遺言の実行を繁の弟一義に尋ねたところ「一義氏が指の骨を遺言のとおり埋めた。と言った」と述べている。
その問答の場に坂本繁二郎が同席していたことで高良山の鳴動は未発に終わった。ウソをつかない坂本は石井鶴三とならんで画壇で著名だった
坂本は八女から自転車で高良山に通い,ケシケシ山に「青木繁碑」を建てた。ほとんど独力での建立といってよい。
除幕のとき、坂本は「建碑の辞」で「遺言は令弟により成就された」と読んだ。梅野も出席していた。
「辞」の冒頭のその言葉は参加者の耳を一瞬に通過して記憶に残らなかった。
しかし、その辞を、坂本は己の論文集に残していた。
友人の遺言の結末の報告を活字に残したかったのである。
青木のロマンの危険性を一番身をもって知っていた坂本には、鎮魂の碑をケシケシ山に建てる責任感があった。
余人には計れない画友の遺言の完結の思いが「建碑」になった。
「碑」のうらに「わがくには」の青木の絶唱を坂本は自ら書いて刻ませた。
青木の歌集「村雨集」の末尾にあるこの望郷歌を眼にをとめ、世に出したのも坂本だった。
ロマンの幕は坂本が引いた。
ケシケシ祭りのかつぽ酒を楽しむ足下で、青木の指骨は天を指さしていると思いたい。
なお坂本が読んだ「建碑の辞」の原本は石橋美術館に保管されている。
(敬称略)