ご福屋・八女本店 “やめぼん” 日誌 -22ページ目

ポン菓子屋

今日は、夕方紅葉がチラホラ見えてきた笠原へ配達に行き、その帰り道黒木のカミさんの実家へ立ち寄った。


夕暮れ時のその時間、肌寒い中、懐かしのポン菓子屋さんが地域の公民館前に来ていた。

うちの義母も米6合を袋に入れ、孫を三人引き連れていった。

その道60年という久留米から来た少し耳の遠い老人が、例のポン菓子製造マシーンに米をいれると「ポーン!!!」というけたたましい音を立て、ポン菓子が出来上がる。それを見ていた孫たちはびっくりして目を白黒させている。出来た弾けたばかりの米を慣れた手つきでちょっと大き目のもろ蓋に移し、熱い砂糖水(?)を掛けゆっくりゆっくりかき混ぜる。しばらくして、それを大きなビニール袋に移し変え、出来上がり。その頃になると孫たちも落ち着いているが、ほんの少しの米が大量のポン菓子に変わったのが不思議そうにきょとんとして、義母に手を引かれ、「後で食べようね。」と言われながら家へと帰る。

そうこうしているうち、大きな音を聞きつけた近所の人がまたまた米を提げてやってくる。


そんな、晩秋の八女の風景でした。


かふたらう

今週の丸林本家・1

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旅行前に部屋をどの程度片付けるか、その匙加減に悩んでいるウメです。

雨もあがりましたので、トコシエ号で偵察に参りました。
先週よりもガッツリ足場が組まれ、隙なくシートで覆われてました。
工事て感じやなぁ。工事まっさかりやなぁ。

シートの隙間から覗いてみると、ヲヲ!
骨だけになってる。アバラ家とはこういうことを言うのですね。

変わり果てたお姿の丸林本家。
アバラ家の丸林本家。
頑張れ、丸林本家。

詳しい事は分かりませんが、今後も勝手に偵察に行っては勝手に盛り上がろうと思っています。
詳しいことは、なかし丸くん、または関係者の方によろしくお頼みします。


変わっていく建物に、子の成長を見るようだわぁと、実体験に基づかない関心をしつつ、本家を後に。



コスモスていうドラッグストアが開店してたけど、個人的にはドラモリのほうが好きだなぁ

麹屋さん

昨日のぐずらさんのコメントに木下こうじ店と手作りみそのことを書いておられた。

以前、私が雑誌モンタンの取材を受けたとき、地元人の酒のあてとして紹介したのがここの「金山寺みそ」だ。

実をいうと私は木下さんのことを良く知らなかったのだが、明永寺の住職がこれがいい!といちおしだったのがこの金山寺。

保存が容易な冬の間だけしか販売していない木下さん手作りの金山寺。そのままでもいいし、季節の野菜にちょっとつけたりすると、さらに美味しさが広がる知る人ぞ知る味だ。

大豆や米の収穫が終わったこの季節、この店の前を通ると、米や大豆の入った大きな袋が所狭しと並べられているのがガラス越しに見える。これは、八女市内外の奥様方が、自家栽培の米や大豆をそれぞれの袋に入れ、この店に持ち込んだものだ。それを木下さんが味噌に仕上げるのだ。希望を言えば、塩の指定なども出来るらしい。もちろん、麹だけ作ってもらい、我が家で自家製味噌をつくる人も多い。まさに、「木下こうじ店」は八女の食卓を陰で支える貴重なお店なのだ。


我が家のかみさんもおととしから味噌作りを習い、たまに失敗しながらやっている。おかげで最近は、当店の食事部屋は味噌の入った信楽焼きの壷の置き場がないほど増えてしまった。


ところで、「麹」というと日本独自のもののようだが、これは東アジア特有のものだそうだ。(この辺の話は「酒づくりの民族誌 ・八坂書房」に詳しく書いてある)

最近は抗菌だなんだといっているが、湿気の多いこの地方では、とても古い時代から麹のようなカビの仲間とは、むしろ仲良く暮らしてきたのだ。

中国と日本では麹の形状がちょっと違う。日本では酒や醤油、味噌などをつくる場合、バラ麹といって、米や麦が粒の状態で麹をつくるが、中国の紹興酒などはモチ麹と言ってモチ状にしたものに麹菌を繁殖させ、麹をつくるのだ。また、清酒と焼酎でも使う麹菌が違う。比較的冷涼な地域で作られる清酒の場合、黄麹が使われ、南九州や沖縄を中心に造られる焼酎や泡盛では、白麹や黒麹が使われる。暑い地域に使われる麹は、雑菌を殺すためのクエン酸を多く産出する黒麹なのだ。

おそらくヒトは長い長い年月を掛け、時には才能ある人物が、その地域の気候風土に合ったものを探し出し、その生活に取り入れ、文化として育んできたのだと思う。


あ、今日はさらっと流すつもりが、ついつい長くなってしまった。

午後から少し寒くなってきた。今日は熱々の日本酒、じゃなかった風呂に入ってさっさと寝よう。


かふたらう


北川生あん所

昨日のコメントで「丸森製菓」のことが出た。

丸森製菓以外にも福島には特徴的な店がまだまだある。

そのひとつが「北川生あん所」だ。古松から緒玉方面に南へ向かう道の途中にあるこの店はその名のとおり「あんこ屋さん」だ。「生あん所」というのが子どものころ何のことか判らず、はり灸か、漢方か、何かそんな響きを感じていた。ここがあんこ屋だと知ったのはつい最近だ。最近といってももう10年ちょっと前のことだが、この年になると最近の幅がぐんと広がってくる。

今日ほんの短い時間だったが、ここの奥さんからお店の話をお聞きした。


あんこ屋という商売が成り立つこと自体、食生活が変わった最近ではとても不思議なことだと思っていたら、やはり同業者は減る一方で、この辺では久留米と柳川に残っているだけだそうだ。残っている久留米のお店も北川さんというらしいが、八女も久留米も経営者の姓は北川ではない。もともと静岡であん作りを習得した人達が、西日本(岡山以西)の各地へ出てきて、商売を始めたのが「北川生あん所」のそもそもの始まりらしい。なにかすごいロマンが隠れていそうな話だと思いませんか。

そんなロマン溢れる(勝手にそう思ってる)あんこ屋さんも、最近では、和菓子屋さんや個人でおはぎなどを作る人達がぽつぽつ買いに来られる程度だそうだ。こだわる人は小豆から自分であんを作られるから、なかなかこの商売は難しいらしい。

いつか見学させてくださいとお願いしたら、「うわぁ、昔のまんまできたなかけんが、見らんで」と嫌がっておられたが、おそらく作業場が古いことを恥ずかしがってらっしゃるのだろう。なにしろ燃料が薪でないこと以外は昔の機械で昔ながらに手作業で作っているそうなので、是非一度拝見したいと思っている。ちなみに、道具も手作りのものだそうだ。


ここのあんこ屋さん以外にも、落花生屋さん、三味線屋さん、砂糖屋さん、てんぷら屋さん、駄菓子問屋さん、結納屋さん、麹屋さん、ちょっと思い起こすだけで、歴史のある小さな店が八女には沢山ある。

「やめぼん」では、そんなお店も紹介していきたい。


今日は、何とかネタがあった。

北川さんありがとうございます。


かふたらう (こ・うたろう改め)



土橋市場


ただいま、矢原町のアトリエさんでなかし丸くんも一緒に「土橋市場に賑わいを取り戻そうプロジェクト」の今後の予定を打合わせ中。


土橋市場は八女市内の中心地にある土橋八幡宮の境内に今も息づく昭和の香りがプンプンするディープな市場です。

もともと、終戦直後に大陸から引き揚げてきた人達が住まれる様になったことから、闇市が始まり、その後、いろんな店が集まる市場となり、現在はスナックや居酒屋が集まる飲屋街のようになっています。

僕らが小さい頃は魚屋さん、花屋さん、駄菓子屋さん、たばこ屋さんなどなど、いろんな店があり、駄菓子屋でお菓子を買って、お宮の境内で、ビー玉やメンコ(パッチともいう)、陣取り、いろんな遊びをしたものです。それに、そこに行けば誰か遊んでいる、そんな場所がいくつもありましが、土橋市場はその一つでした。

ただ、時代の流れか空き店舗が増え、後継者不足もあり、この雰囲気を次世代に継承していくために何らかのアクションが必要とされており、「八女ふるさと塾」で今年度、八女市の助成金をうけて一つの方向付けを現在模索しています。

その辺りの情報も別に発信していく予定です。


皆さんも一度足を運んでみてはいかがですか。


こ・うたろう