●関東史跡行8 新田義貞よ…鎌倉から小田原へ | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

亡き妻の実家で懐かしく義弟夫婦らと談笑して、名残惜しく浦賀の地を後にする。

今日の宿は娘夫婦孫の待つ鎌倉へ。

コロナの影響で、この間浦賀にも鎌倉にもなかなか来れなかった。

以前は、娘のママチャリで鎌倉市街をあちこち巡ったのだが。

娘夫婦宅にもどっさり安曇野米を献上?して、よく談笑よく痛飲して。

 

稲村ケ崎から江の島を望むこの景色は歩いてすぐ。

この岬は、なんといっても新田義貞の史上有名な「海に剣を投じた」という伝説の地。

義貞が剣を投ずると見る見る潮がひき、その浅瀬を渡って新田軍はいっきに鎌倉市街へ乱入、ついに鎌倉幕府を滅ぼした。

残念ながらその義貞姿像はここにはなく、挙兵した生品神社(群馬県太田市)に。

その「義貞首塚」が鎌倉からすぐ先の小田原にあるというではないか、知らなかった。

義貞を惜しむ人が当時から多かったのか、義貞の首塚は各地に点在する。

真田信繁の墓と同じように慕う人惜しむ人は多い。

 

数年前、京都・滝口寺の義貞首塚へ。

越前で戦死した義貞の首級は京で晒され、それを妻室の勾当内侍が受け、この地に埋納した。

そして後に勾当内侍もここに埋葬された。

▼義貞首塚

▼勾当内侍供養塔

 

小田原市、東町

閑静な住宅街に囲まれた小さな公園と墓所。

「新田義貞公首塚」と刻まれた石碑。

 

「一引両」の新田家紋所が。

義貞家臣の宇都宮泰藤が、京から首級を義貞のふる里へ持ち帰る途中、ここで命を落とし、主の首級を埋納したという伝承が残るという。

主にも、家臣にも憐憫の情がにじむ。

 

南北朝時代の騒乱で登場した三人のもののふ…。

力を合わせ、鎌倉幕府を倒したものの、次の対立が。

尊氏は武家の世を!

正成は天皇の御世を!

では、義貞は……、尊氏と正成の間で惑い、苦悶の姿がなんともありのままというか、なんというか。

義貞の揺れ惑う心情(ほんとはどうだったか知らないが)を、誰かよき小説に、そして良きドラマ・映画に! を願いたいもの。

 

さらに戦場では二刀流を駆使して闘ったという伝説の英雄、義貞。

福井県坂井市・称念寺の義貞墓所を思い浮かべる。

萩の花は…。

そして義貞落命の地の新田塚も

新田義貞はもっと注目されていい歴史上の人物のような…。

いささか我が思いに力が入ってしまった。

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