亡き妻の故郷、そして義父母の眠る横須賀市浦賀の乗誓寺
の住職は、かの曽我兄弟のご子孫という。
知らなかった、境内に兄弟像が。
意外、こんなところで曽我の兄弟に会えるとは。懐かしかった。
・曽我兄弟(曽我祐成・時致)の富士の裾野の仇討
・荒木又右衛門の伊賀鍵屋の辻の仇討
・赤穂義士「忠臣蔵」の仇討
これぞ日本三大仇討事件。
それぞれ拙ブログでも幾度となくふれている。
がしかし昨今「曽我兄弟って知ってる?」なんて「死語」か、もはやもう…。
かつて師走の「忠臣蔵」ドラマは必ずあたると…最近はもう…(寂)(泣)。
しかし我列伝は往くのです!
まずは小田原近郊、曽我の里、曽我兄弟及び兄弟の義父母の眠る城前寺の墓前へ。
叔父の僧侶が二人の遺骸を富士麓から持たらしたという。
そして箱根の元箱根国道一号沿い、兄弟と兄祐成の妻室虎御前の墓塔へ。
右端が虎御前という。
墓塔前のバス停。
「曽我兄弟って誰や?」「知らんな」ゥゥゥううう。
……時は建久4年(1193)春、将軍頼朝がその勢威を誇示する一大イベント富士の裾野の大巻狩りが挙行された。参加御家人三万騎とも。
大巻狩り最終日、土砂降りの深夜。
曽我兄弟はにっくき父の仇・工藤祐経の陣屋に推参、これを討ち果たす!
その現場だったと伝えられる現在の富士宮市上井出の杉の深い林に守られた地に、曽我兄弟のみの墓所が営まれている。
荘厳な雰囲気が漂う。
いつもよく整備されていて、関ケ原の大谷吉継墓所を思い起こす。
墓所への参道前には、曽我八幡宮が祀られている。
しかし工藤祐経を討ち果たしたが兄・祐成は乱闘の末、仁田忠常に討たれ落命。
弟・時致は捕縛され、翌日斬首。
上井出の墓地から南へ20㌔ほど、時致が斬首された地に近い現在の富士市久沢曽我寺。
ここにも兄弟の墓塔。
そして工藤祐経の陣屋に推参せんとする二人の像。
全国に曽我兄弟の墓は十数か所もあるという。
曽我兄弟の物語は、正月の歌舞伎出し物というが、いまもそうなのだろうか。
虎御前は事件後、弔いの全国行脚して兄弟の話を世に広めたという。
我が信州・善光寺にも虎御前が庵を営んだという地に「虎が石」として史跡となっている。
が、しかし…、
事件から800余年、曽我兄弟の仇討話はもう遥か彼方の話になってしまうのだろうか。
なんともなぁ…。