「この天守は岡崎城がモデルですか?」
「そうなんです」
大多喜城から西へ10キロほど、山城本丸に模擬天守を擁した久留里城。
駐車場から天守までたどり着くのがけっこう難儀。
深い堀切の坂道を登って。
さらに登って。
天守に到着。青空を背景に天守が映える。
久留里城は、房総の有力戦国大名・里見氏の主たる居城だった。
家康の関東支配後は、大須賀氏そして土屋氏が城主に。
なによりもかによりも、あの天下の碩学・新井白石が、二代藩主土屋利直の時、この久留里城に18歳から4年間、過ごしてその才を磨いたというではないか。
知らなかった!
利直は、非凡な才の白石を「火の子」と名付けてかわいがったという。
後に白石は6代将軍家継、7代家宣の側用人として仕え、「正徳の治」と讃えられる政治を主導する。
資料館前に白石さんの銅像が! いやぁ、こんなところで拝顔できるとは感激。
ぬぬ、恐い、怒られそう。
かつて江戸で、中野区の高徳寺で白石さんの墓参へ。
晩年、不遇だったともいわれ、意外と質素な墓だった。
いや、それよりもなによりも白石さんには入試対策授業で実に実に「お世話?」になった私である。
………「先生! これ、全部覚えなきゃいけないんですか、全部漢字で! 新井白石だけで6つも著作があるじゃないですか」
「6つとも全部教科書に載ってるからな。テスト・入試に出ても難問じゃねぇぞ。また白石は本の名ばかりじゃないからな」
「…そうだけどさあ、またこの本の名前も覚えにくい、だめだこりゃ」
こんな会話を長い間日本史授業の中で、何度交わしたことか。
教科書に載っている白石の6冊の著作とは。
『西洋紀聞』『采覧異言』…宣教師ヨハン・シドッチとの会話から得た西洋の事情をまとめた書。白石はシドッチからイタリア語を会得した!
『古史通』…古代史の解説、邪馬台国なども深く研究。
『読史余論』…将軍用の日本史テキスト。
『藩翰譜』…各藩の歴史・地理書。
『折たく柴の記』…白石の自叙伝。
ただただ、すげぇ!
こんな人物は教科書の中で白石のみ。
他の高名な学者たちでも多くて二冊、だいたい一冊。
白石は政治家ばかりでなく、学者であった。
そして!
「井戸水を裸体にぶっかけて眠気を覚まし勉強、勉強したという新井白石!
二宮尊徳は膝に錐を刺してその痛みで眠気をふっとばした!
野口英世はなんと眠らなかった。いつ行っても実験・研究してた」
半分冗談とはいえ、受験生をこうまくし立てたものだ。
日本史の受験生がいかに大変か(大変だったか)、いかに日本史授業・受験が「日本史嫌い」にさせているか(させてきたか)。
いまになるとつくづく思う、自らもまた深く反省しています、はい。
すみません、つまらん愚痴話を長々と。
さて目先変えて、房総に来たのだから! 広い海を!
海の見える城へ! 勝浦城。
城の面影はほとんどなく。
本丸・本郭らしさもなく、大海原が広がる!
おぉ、海面に鳥居が浮かんでる。
おぉ、太平洋を背に女人の像が。
徳川御三家の紀伊藩初代頼宣の、そして水戸藩初代頼房の母、於萬の方像。
勝浦城主正木頼忠は於萬の方の父だった。
秀吉の小田原攻めでは北条方として戦い敗れた正木氏、於萬の方はこの海への急崖を
九死に一生を得て逃れたという。
家康が見惚れたいい顔の像だった。