●涙 嗚咽 知覧特攻平和会館 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

泣きたいから知覧へ行くのか。

知覧へ行って、あそこへ行って読みたい遺書があった。

鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館へ。

 

館内はかなりの見学者。

 

遺書………

母上お元気ですか 永い間本当に有難うございました

継母とはいえ慈しみ育てくだされし母 

有難き母 尊い母

 

ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺 

幾度か思い切って呼ばんとしたが

なんと意志薄弱な俺だったろう

母上お許しください

さぞ淋しかったでしょう

 

今こそ大声で呼ばして頂きます

お母さん お母さん お母さんと

 

第七七振武隊 昭和20年5月4日出撃戦死 

宮城県18歳 相花信夫少尉

 

特攻隊員の宿舎、三角兵舎。

 

村永薫氏の編著『知覧特別攻撃隊』。

知覧はじめ九州各地から出撃した特攻隊員は1028人。

その1028柱を祀っているという。

知覧から沖縄まで650㌔、片道だけの燃料で若者たちは出撃していった…。

残された写真、日記、遺書、遺詠などがそのまま丁寧にまとめられている。

巻末に特攻隊員戦没者名簿が載る。

出撃した隊員たちは、薩摩富士・開聞岳に最期の挙手の礼を捧げ南へ向かっていったという……。

にほんブログ村 日本史 ブログランキングへ