泣きたいから知覧へ行くのか。
知覧へ行って、あそこへ行って読みたい遺書があった。
鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館へ。
館内はかなりの見学者。
遺書………
母上お元気ですか 永い間本当に有難うございました
継母とはいえ慈しみ育てくだされし母
有難き母 尊い母
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
なんと意志薄弱な俺だったろう
母上お許しください
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
第七七振武隊 昭和20年5月4日出撃戦死
宮城県18歳 相花信夫少尉
特攻隊員の宿舎、三角兵舎。
村永薫氏の編著『知覧特別攻撃隊』。
知覧はじめ九州各地から出撃した特攻隊員は1028人。
その1028柱を祀っているという。
知覧から沖縄まで650㌔、片道だけの燃料で若者たちは出撃していった…。
残された写真、日記、遺書、遺詠などがそのまま丁寧にまとめられている。
巻末に特攻隊員戦没者名簿が載る。
出撃した隊員たちは、薩摩富士・開聞岳に最期の挙手の礼を捧げ南へ向かっていったという……。