特攻記念館で嗚咽しつつ、自筆の遺書を読む。
ほとんどが二十歳前後の若者か…。
留魂録
第七九振武隊 昭和20年4月16日出撃戦死
岩手県出身 23歳 佐藤新平少尉
お母さん江
態々(わざわざ)リュックサックを背負って会いに来てくださったお母さんを見、何か言うと涙が出そうで。
遂、わざわざ来なくてよかったのに等と、口では反対のことを言って了ったりして申し訳ありませんでした ………
大命を拝し、只今特別攻撃隊の一員として、醜敵艦船撃滅の途に就きます。
新平、本日の栄誉あるは二十有余年にわたる間の父上様、母上様の御薫陶の賜と深く感謝致しております ………
日本一の幸福者、新平最後の親孝行に、何時もの笑顔で元気で出発致します。
新平拝
御両親様
●あぁ、この4か月後!あと4か月で終戦だったのに…。
遺書
出発時刻が待っています。
お母さん、必ず立派に(空母艦へ)体当たり致します。
今日、遠いところの人々が私たち特攻隊の為に慰問に来てくださいました。
丁度、お母さんのような人でした。
別れの時は、見えなくなるまで見送りました。
ではお母さん、私は笑って元気で征きます。お体を大切に。
私はお母さんが何時も言われる御念仏を唱えながら空母に突入します。
南無阿弥陀仏
昭和二十年五月二十五日
第五十七振武隊 昭和二十年五月二十五日出撃戦死
熊本県 十九歳 山下孝之少尉
●あと2か月! 2か月余で8月15日終戦だったのに…