●北陸墓参行 知らなかった平知度の墓、義経・弁慶の像 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

平知度(とものり)は、俱利伽羅峠の合戦で乱戦の最中、義仲方の岡田親義と遭遇激突、相打ちにて双方討ち死にした。

 

知度は富士川の合戦で敗走、墨俣川の合戦では、源氏方に勝ったものの、俱利伽羅峠の合戦にて義仲方に敗れ討ち死。

年齢は不明、清盛の七男・三河守だったという。

 

知度の首塚が倶利伽羅峠の古戦場近くにあることはまったく知らなかった。

 

信州を発つ前に、岡田親義の墓所へ久々に。

嫡男・岡田久義が首級を持ち帰りここに埋めたという。

慶弘寺公園に立つ墓塔は、静かに今も松本平を見守っている。

岡田親義は、以仁王の令旨を受けた後、義仲方に随従上洛軍に加わっていた。

 

一方、相打ち死となった知度。

ポツンと墓所らしからぬ地に、知度のみの墓所が。

国道8号線を西へ向かって、倉見トンネルを抜けて国道を下り、右手へ行ったあたり。

津幡町津幡という住所だがわかりにくい。

 

これはいささか寂しいな。

クルマも、人通りもほとんどなく、人里離れた寂しい地。

知度の説明書きもあったが。

まったく見えないので、私が布で表面をぬぐい、覆っていた草木をチョキチョキした(ネハヤサシイ)

 

 

この首塚を示す標柱が大きく存在感を示している。

倶利伽羅峠古戦場の猿ケ馬場あたりに墓所を移すことはできないのかなぁ。

父・清盛の松が、安芸の宮島からもたらされ、植えられている。

 

さて、倶利伽羅峠からUターンして信州への帰路。

越中の氷見海岸の雨晴海岸へ寄る。

 

何度か来るのだが、かくのごときの景色↓、海越しの北アルプスの雄峰!を一度見てみたいのだが…だめだ。

雨晴海岸駅まえの看板から。

やはり今回も曇り、無理。来るときはいつもこんな空模様。

無念である。

仕方なし、また来よう。義経社(写真上右手の岩)に詣で、如意の渡しへ向かう。

 

JR氷見線の赤い電車がすぐ脇を走る。

 

小矢部川の如意の渡しにて、義経一行は監視の渡守から逃亡中の義経ではないかと、疑われたという「義経記」の物語。

 

あの勧進帳の場面の原型がこことは、知らなかった。

弁慶が機転をきかせて、疑われた義経を扇子で強打するなどして、難を逃れた。

 

「以前はここの渡し場に義経・弁慶像がたっていたのですが、渡し場が廃止されてので、今は伏木駅前に像は移されました」と、地元の方。

 

おお、優しい顔の義経さんと、あまり恐くなく、強く叩いていないふうの弁慶像が。

弁慶の背中がなにかやさしくて嬉しい。

 

ドラマの「勧進帳」では、金剛杖で強くたたくからなぁ。

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