●加賀・多太神社発 実盛の兜を500年後に訪ねた人、そして今300年後 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

篠原の合戦で討ち死にした義仲の命の恩人・斎藤実盛

義仲は実盛塚として戦場近くに手厚く祀った。

また実盛の兜は近くの多太神社(石川県小松市)に奉納した。

使者として、首級を見聞した樋口兼光が遣わされた。

多太神社は小松市街の静かな社。

鳥居をくぐり参道を行くと、3つの石像が迎えてくれた。

松尾芭蕉像

か、顔が…。

ちょっと、こわい。

 

斎藤実盛像。

そして実盛兜像。

奥の細道の行脚で元禄2年、加賀の途次、芭蕉は多太神社に留杖、実盛の兜と対面。

「無惨やな 甲の下の きりぎりす」

と詠んだ。

 

「平家物語」の、樋口の次郎、(目の前の首級を)ただ一目見て、あ

な無残、斎藤別当にて候」と、落涙したという一節を受けたのである。

 

 

あまりに有名な句なれど、随行していた我が信州出身の河合曾良

「幾秋か 甲に消えぬ 鬢の霜」

と、詠んでいる。マケテハイナイ!

 

宝物館を見学させていただき、実盛の本物の兜を見た。

800年の歳月を感じさせないほど保存状態がよかった。

残念ながら撮影は出来なかった。写真のはレプリカ。

 

「平家物語」→「奥の細道」と繋がると、実盛の物語も、実盛塚も、実盛兜も永遠だなぁ。

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