篠原の合戦で討ち死にした義仲の命の恩人・斎藤実盛。
義仲は実盛塚として戦場近くに手厚く祀った。
また実盛の兜は近くの多太神社(石川県小松市)に奉納した。
使者として、首級を見聞した樋口兼光が遣わされた。
多太神社は小松市街の静かな社。
鳥居をくぐり参道を行くと、3つの石像が迎えてくれた。
松尾芭蕉像。
か、顔が…。
ちょっと、こわい。
斎藤実盛像。
そして実盛兜像。
奥の細道の行脚で元禄2年、加賀の途次、芭蕉は多太神社に留杖、実盛の兜と対面。
「無惨やな 甲の下の きりぎりす」
と詠んだ。
「平家物語」の、「樋口の次郎、(目の前の首級を)ただ一目見て、あ
な無残、斎藤別当にて候」と、落涙したという一節を受けたのである。
あまりに有名な句なれど、随行していた我が信州出身の河合曾良も、
「幾秋か 甲に消えぬ 鬢の霜」
と、詠んでいる。マケテハイナイ!
宝物館を見学させていただき、実盛の本物の兜を見た。
800年の歳月を感じさせないほど保存状態がよかった。
残念ながら撮影は出来なかった。写真のはレプリカ。
「平家物語」→「奥の細道」と繋がると、実盛の物語も、実盛塚も、実盛兜も永遠だなぁ。